2009年02月09日

■善光寺は水内神社であったのか

 今まで述べてきた善光寺の創建についての諸説は、いずれも「善光寺縁起」がその出発点になっています。その記述を大筋で認めながら、如来を芋井の里にもたらした人として渡来人を宛てたり、あるいは坂井の説では信濃の有力な豪族ではないかとしています。創建の年代についても歴史的な事情を勘案して遅らせたりもしています。
 ここではしばらく「善光寺縁起」の記述を離れて、善光寺の創建について考えてみたいと思います。『日本書紀』持統天皇五年(六九一)八月に「二十三日、使者を遣わして、竜田風神・信濃の諏訪(大社)・水内社などの神を祭らせた。」と記されていますが、善光寺はその水内神社の社地に建てられたのではないかという説があります。
 延長五年(九二七)にまとめられた延喜式神名帳、いわゆる延喜式内社には水内の神社として次の九社があげられています。
・美和神社
・伊豆毛神社
・妻科神社
・小川神社
・守田神社
・粟野神社
・風間神社
・白玉足穂命神社
・健御名方富命彦神別神社
 ここには水内神社の名はありませんが、「釈日本紀」では健御名方富命彦神別神社が水内神社のことであるとしています。『善光寺史』の著者坂井衡平も同様の見解をしめしています。
 健御名方富命彦神別神社は現在城山公園にある県社の正式名称ですが、江戸時代までは善光寺の境内にあり御歳宮と呼ばれていました。この御歳宮こそがかつての水内神社ではないかというのです。延喜式内社という格式高い神社が善光寺の境内に付属物のように祭られるようになったのは、ひとえに善光寺の勢力に押されたためではないかと坂井衡平は言います。
 この水内神社、後の健御名方富命彦神別神社について栗田勇氏は次のように述べています。「善光寺は、元水内神社として諏訪神社の別社という説もあり、古い地主神の聖地であったことが知られている。このような、聖なる山地は、在来の民間信仰では、山岳信仰の対象となり、わけても、他界として死者の国である常世、こもりくとされていた。」(『一遍上人』より)
 日本は神の国といわれているように、古代社会では森羅万象すべてに神が宿ると考えられていました。しかし、現在私たちが見るような、鳥居があって拝殿があってという神社は後に形作られた姿であって、原初は自然にあるさまざまなものに神が宿るのだとされていたのです。特に美しい山は、神が宿るにふさわしいものとして古代人の信仰を集めていました。稲作が行われるようになってからは、この神を里に勧請して豊作を祈るようになります。これがやがて神社となっていくのです。
 一方で、死者の霊である死霊は、はじめは災いをもたらすものとして恐れられていたようです。そのことは、死者を埋葬するとき屈葬にして、死者のよみがえるのを防いだということからもわかります。そんな死霊がいつのまにか恵みを与える祖霊として祀られるようになるのは、自然災害から人々を守り、豊穣をもたらすものと考えられるようになったからです。霊は死んでからも亡びることなく、山など静寂な場所に鎮まり、人々の暮らしを見守っていると信じられるようになっていったのです。
 祖先の霊が山の奥の方に鎮まっているという考え方は、仏教が伝来するずっと以前からこの国にあったものであり、それが仏教でいうところの西方浄土と結びついて、日本の浄土観を形づくったと述べたのは山折哲雄氏(『仏教民俗学』)です。日本人にとって浄土とは西方十万億土の彼方にあるのではなく、私たちの生活圏を取り巻く山の中にこそ存在するというのです。私たちの生活圏を取り巻く山々は、私たちの祖霊が住むところであり、いつのまにか仏こそが祖霊であるという観念が信じられるようになっていきました。
 だから、私たちが仏を拝むということは、祖霊を拝むことであり、仏を供養するということは、祖霊を供養することであるということになります。仏教が地方にもたらされ、有力な豪族たちがこぞって寺を建て仏像をまつるようになったということの背景には、それまで行ってきた祖霊をまつる行為の延長として違和感なく受け入れられたからです。やがてこの行為は民衆のレベルにまで拡がっていきます。
 善光寺の前身である芋井草堂が、地主神の祀られていた場所に建てられたということも、このような経緯を考えてみればそれほど不思議なことではありません。創建当時の善光寺は、もっと山際の花岡平のあたりにあったと主張する人もいます。
 新たにわが国に入ってきた仏教の神は、わが国古来からの祖霊信仰と結びつき、庶民の心の中により深く浸透していきました。それは決して水内神社の社地を冒して芋井草堂(善光寺)が建てられたということではなく、当初は一体のものとして信仰されてきたのではないかと思われるのです。



Posted by 南宜堂 at 09:40│Comments(0)

 
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