忠義について
同じように映像を作り出す現場でありながら、映画とテレビではどうしてこうも作り出す作品の質に差が出るのだろうか。正月のテレビを見ていて思ったのは、こんな年寄りの繰り言であった。
お代をいただく娯楽とただの娯楽の差なのだろうか。それとも作っている人たちの気構えが違うのか。そう思っている私の主観に問題があるということもあるのかもしれない。
「おくりびと」の滝田洋二郎監督の映画「壬生義士伝」を正月にテレビで見た。同名の浅田次郎の小説が原作だが、これは読んではいない。子母澤寛の「新選組始末記」に吉村貫一郎の話があった。だから南部藩出身の新選組隊士吉村貫一郎は実在の人物だったのかもしれない。
映画『おくりびと」の鶴岡地方の景色もすばらしかったが、この映画の南部の風景もまた秀逸である。特に冬の景色がよかった。
壬生浪士といっても壬生義士というのは聞いたことがない。義士というなら赤穂義士だろう。新選組が忠義の士の集まりなのかどうかというのは私にはいささか疑問である。第一忠義の対象は誰なのか。徳川幕府か。新選組が正式に幕臣にされたのは鳥羽伏見の直前である。会津藩ではもちろんありえない。
福沢諭吉の「福翁自伝」にこんな箇所がある。
「およそ人間の交際は売り言葉に買い言葉で、藩の方から数代御奉公を仰せ付けられて難有い仕合せであろうと酷く恩に被せれば、失敬ながら此方にも言葉がある。数代家来になって正直に勤めたぞ、そんなに恩に被せなくても宜かろうと言わねばならぬ。これに反して藩の方から手前たちのような家来が数代神妙に奉公してくれたからこの藩も行立つとこう言えば、此方もまた言葉を改め、数代御恩を蒙って難有い仕合せに存じます。累代の間には役に立たぬ子供もありました、病人もありました、ソレにも拘わらず下さるだけの家禄はチャンと下さって、家族一同安楽に生活しました。主恩海よりも深し山よりも高しと、此方も小さくなってお礼を申し上げる。これが即ち売り言葉に買い言葉だ。」
言い方は勇ましく乱暴だが、忠義ということの飾りを全部取り払った姿というのは、「数代御恩を蒙って難有い仕合せに存じます。累代の間には役に立たぬ子供もありました、病人もありました、ソレにも拘わらず下さるだけの家禄はチャンと下さって、家族一同安楽に生活しました。」ということに対するものだと考えていいのではないか。
江戸時代になって長く平和が続くと、武士というのは無用の長物である。今でいうところの公務員のような事務は多少はあるのだが、それも公務員と同じで非効率であまり働かないということが当たり前であった。勝家のように小普請という無役の旗本もあった。それでも微禄ではあっても家禄は受け取れる。非生産的な階級が生き延びられたのも君恩なのである。
赤穂義士にしても、基本はこういった浅野家への君恩に報いるための行為というのが基礎にあって、そこに観念的な虚飾が結びついて「忠臣蔵」の物語になったのではないだろうか。