はじめてを見に行く 駅弁
ゆっくりということが言われるわりには、世の中あまりゆっくりになってきたとも思えません。10月1日に長野新幹線は十年目となりましたが、これも長野・東京間の時間が短縮されてみれば、2時間以内で東京に行くのが当たり前の世の中になってしまいました。「これでは、おちおちと弁当も開けない」と老人は思うのですが、そもそも「汽車に駅弁」などという発想は一昔前のものなのでしょう。
長野駅で駅弁の販売がはじまったのは明治21年の開業から間もなくだというのですが、はっきりしたことはわかりません。しかし、駅弁ではなく今でいうところのキオスク的なものは、開業と同時にあったようです。場所は駅の構内ではなく駅前の藤屋旅館の一画でした。ここで成島某という人が新聞の無料閲覧所を開き、パン・煙草・飲み物・そばを販売したといいます。同時に構内立ち売り営業の許可を出願していますから、構内での販売も間もなくはじまったのでしょう。
初期の長野駅の駅弁ですが、どんな弁当であったのか興味のあるところです。記録によりますと、
・普通弁当折詰 15銭
・寿司折詰 10銭
・玉子 3銭5厘
・お茶 4銭
とあります。玉子というのはおそらくゆで卵でしょうね。宇都宮駅で販売された最初の駅弁は握り飯にたくあんだったといいますから、駅弁も進歩したのでしょう。さらに塩尻では焼き芋、長野でも茶碗蒸しを売ったという記録もあるようです。長野駅構内の中島弁当店ではお茶漬け弁当を販売して好評だったというのですが、どんなものだったのでしょう。
横川の釜飯はいまだに健在のようですが、近い将来、駅弁というとデパートの駅弁大会で買うものということになりそうな予感がします。