日々是好日 歴史ブーム

南宜堂

2010年08月28日 10:28

 今日の地元の新聞に、大河ドラマ化を目指す3つの地区が集まってシンポジウムを開くのだという記事が載っていた。3つの地区というのは、真田幸村の上田、木曾義仲の木曾、そして保科正之の伊那高遠である。まさに世は歴史ブームである。上田城に行けば、若い女の子が大勢グループで訪れている。
 景気の低迷と過疎化に悩む地方としては、昔の遺産で人が訪れてくれるのだから、こんなありがたいことはない。それには、NHKの大河ドラマというお墨付きが必要と、誘致運動にも熱が入るのであろう。これは一昔前の長野オリンピック誘致の事前運動を思わせる。まさかNHKの偉い方が視察に訪れて、地元は懸命に接待するなどということはないだろうが、それで実現するならやりたいと思う方もおられるのかも知れない。
 歴史愛好家というのは昔からいる。郷土史家といわれる人々だ。地元に残されている石碑やお寺や古文書を一生懸命研究して、これはいつ頃にどんな人がと、その成果を郷土誌のようなものに発表したりする。主に教員を退職した人たちが多く、どちらかというと高齢者である。
 ところが現在の歴史ブームを牽引しているのは若い人たち、それも女性に多いようなのである。郷土史家と呼ばれる人たちがモノから入るのに対して、こちらの人たちはヒトから入る。真田幸村とか坂本龍馬とか土方歳三とか、その生き方に感動してその人のファンになって歴史にはまるということのようなのである。
 現在放送されている「龍馬伝」では、地元高知をはじめ、京都,長崎、下関とゆかりの地では一大龍馬ブームが巻き起こっているようなのである。地方経済の活性化には実に喜ばしいことと思う。しかし、歴史という観点から見てこれは歴史を理解するための正しい方法なのかという疑問は常に禁じ得ない。
 「龍馬伝」における坂本龍馬像の原型はやはり司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にあるのではないかと思う。新選組の土方歳三にしてもそうだが、司馬の造形した人物像によってブームが巻き起こり、ついには国民的な英雄となるということがしばしば起こっている。怖いのはそれが坂本龍馬なり土方歳三の実像と重なってしまい、それがいつの間にか一人歩きするという点にある。
 このことは作者司馬遼太郎も望んでいなかったのではないかと思う。わたしはかつてこのブログの中で「戦後の龍馬像」というタイトルで次のようなことを書いた。

 歴史家の飛鳥井雅道は、著書「坂本龍馬」の冒頭で、次のように読者に問いかけている。
「龍馬は真に理解された上で愛されているのだろうか。」
 現在、福山雅治演じるところの坂本龍馬を毎週見ている私たちは、この問いかけに大きくうなずくのである。あれが史実だとは思っていないが、実在の坂本龍馬も福山龍馬とは違うものだろうと思う。
 飛鳥井がこの問いを発したのは1970年代のことである。彼が同書の中で指摘しているように、その当時の龍馬像というのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響が決定的だった。飛鳥井は言う。
「司馬氏は、国民がいだきはじめてきていた愛すべき龍馬像を大きく司馬的に拡大し定着するのに成功することで、戦後の龍馬像の決定版をつくられたのであった。」
 ここで言われている戦後の龍馬像とは、戦後民主主義と経済成長の果てに見える典型的な日本人像であり、「明るく、楽天的で磊落な人物であり、気取りがない」そんな人物としての龍馬なのである。
 時代は変わり、現代はあの時代の人々が未来の世界として夢見ていたような、明るく自由な世界とはずいぶんとかけ離れたものになってしまった。それでも、またこの時代になって龍馬がもてはやされているというのは何故なのだろうか。

 あくまでも司馬が書こうとしたのは、彼の歴史認識に基づく龍馬であり、実在の坂本龍馬ではなかったはずである。ところが、作者の力のなせる技かいつのまにかそれが龍馬の実像と重なってしまった。まさに、雪舟や左甚五郎の逸話にあるようなことが実際に起きたのである。
 だからわたしたちが龍馬に共感するというのは、あくまでも司馬遼太郎の竜馬に共感しているのだという自覚をもっていなければいけないと思う。例えば、歴史家の松浦玲氏は資料を駆使し、龍馬の実像に迫ろうという仕事をされている。何が正しいかというのではない。自分はどんな龍馬像を描きたいかとことであると思う。例えば、ドラマの中で龍馬は「亀山社中は利を求めてはいかん」と言う。だが、あの時龍馬のやったことは後の岩崎弥太郎がやったことの先駆けであるという人もいる。
 何が正しいというのではないが、あれだけ龍馬がもてはやされるともっと格好悪い龍馬像というのも追ってみたいと、天の邪鬼の南宜堂は考えたりする。