昭和古本屋の日々
諸般の事情で店を開くのが午後2時近くになってしまう。今ごろの季節は陽の暮れるのが早いので、すぐに外は暗くなってしまう。
だいぶ陽が短くなったと、外を見ながら共同経営者と話していた時に入ってきたのがOさんであった。以前に南宜堂ブログでも書いたことのある高遠の古本屋さんである。正確には元というべきか、昨年店を閉めたと聞いていた。
Oさんの店には一度お邪魔しただけだったが、南宜堂ブログを時々見ていただいていたようで、移転したことを知って訪ねて来ていただいたようである。
Oさんは何人かの仲間と高遠で「本の店」という古本屋を開いた。それ以前は東京の高円寺で古本屋をやっておられた。その後、考え方の違いから店は二つに分かれた。
私がOさんの店「長藤文庫」を訪ねたのは、「本の店」が二つに分かれた後のことであった。その時の感想のようなものは南宜堂ブログに書いたが、Oさんは古書で町おこしをするという構想に馴染めなかったのだと思う。同業者として、私も同じような考えであったので、高遠にある二つの古本屋のなかでは「長藤文庫」に親しみを感じていたというわけだ。
しかし、高遠を本の街にという構想は着々と進んでいるらしい。昨年は2日間の日程で開催された「高遠ブックフェスティバル」が、今年は1週間行われた。来年は毎月開かれると聞いている。
考えてみていただきたい。古本の愛好家がどれくらいいるというのだろうか。古本が町おこしの素材になるほど人気ならば、私などは今ごろ大金持ちになっていてもおかしくはない。同業のみなさんは皆零細な経営者ばかりなのである。
一定の愛好家のみなさんに来ていただくというのならわかるが、町を挙げてお祭りをするほど盛大になるものなのだろうか。どこかに無理があるように思うのだ。
話が横道にそれてしまったが、Oさんのことである。店を閉めたと聞いた時、高遠の雪と寒さに耐えられなくなったのかと、失礼ながら思ったものである。その後は、松本で店を探しているということが彼のブログにあったので、松本で古本屋をはじめられたかと思っていたのである。
Oさんにお聞きするに、高遠の店を閉めたのは寒さのせいではなくて、大家さんの事情で出なくてはならなくなったからということであった。また、松本での店探しもなかなかうまくいかず、現在はたくさんの本を抱えて、新しい店を物色中なのだという。
松本にこだわらず、上田でも長野でもというお話なので、この辺りもいいですよとお勧めした。古本の好きな人というのは、何軒もの店をはしごして歩くのが楽しみであるので、古本屋がかたまっているのがいいのだ。私の店から歩いて5分ほどのところに団地堂という古本屋があって、お客さんはたいがいどちらの店にも顔を出す。
今度は明るい時にと言って松本に帰られたが、また来てくれるのが楽しみである。
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