古本屋として大成するということ。

南宜堂

2011年11月06日 13:10

 しかし、古本道なるものを極めた古本屋が成功した古本屋かというとそういうわけではない。今一番に客が入って、売り上げも多い古本屋といえばブックオフだと思うが、あそこが古本道を極めているとは思えない。
 古本屋として大成するためには、本を商品として見ることができるようにならないといけないと思う。 ブックオフ然り、ブックオフで携帯片手にセドリしてアマゾンで売っている人たち然りである。彼らが本に見出す唯一の価値は、その本が売れるかどうかである。
 同じことが従業員を雇って手広く商売をしている古本屋についてもいえる。本というのは様々な属性をもったものだが、そのうちの商品という部分を最大限に重視できるかどうかが古本屋として成功するかの分かれ目ではないかと思う。
  店頭で一人の顧客に1冊の本を売るということを繰り返していても、その利益はたかがしれている。市場で大量の本を動かす。図書館など大口の得意先をもつ。古本屋をビジネスとして展開していくためにはそういう努力が不可欠だと思う。
 そんな先のことを考えながら、私たちの店も古書組合に入るべきなのではないかということで迷っている。組合に入っている人はこぞって組合に入ることを勧めてくれる。いい本を手に入れるためにもそれは必要ではないかとも思う。
 だが、入会金は高いし付き合いも煩わしいしというのが共同経営者の意見だ。もともとか道楽の延長のようなものだから、そこまで本格的にやらなくてもいいというのだ。
 これには私も概ね納得しているので、しばらくはこのまま行くだろうと思う。品揃えについては欲はあるが、今の状態でもそれほど遜色あるとは感じない。問題は売り上げを伸ばすことである。しかしこれもこの年になってそれほどまでにやらなくてもいいかなと思っている。単なる怠け者だとも言えるが。
 毎日古本を見ながら店番をしていると、店の本1冊1册を単なる商品として扱うのが申し訳ないような気持ちにもなるのであるる

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