お血脈
おけちみゃくと読みます。そういう題名の落語がありまして、善光寺の出開帳が盛んに行われるようになる、江戸時代中期以降に成立した話ではないかと思われます。そのあらすじは次のようです。
地獄を取り仕切っているのはご存じ閻魔大王ですが、近頃地獄に堕ちる亡者どもがめっきり少なくなってしまい、頭を抱えておりました。事情を探らせてみますと、どうも世間では善光寺が大変な人気で、ここの御印文を額に当ててもらうとどんな悪人でも極楽に行くことができるというのです。しかもその値段がたったの百疋というのですから地獄が暇になるわけです。
このままでは地獄の商売あがったりと、一計を案じた閻魔様は、この善光寺の御印文を盗ませることにしました。なにしろ地獄ですから、泥棒にかけては人材が豊富、よりどりみどりです。その中から選ばれたのがかの石川五右衛門、さっそく閻魔様の前に呼び出されました。
張り切った五右衛門は、善光寺の宝蔵に忍び込みまんまと御印文の盗み出しに成功しました。そのまま素直に閻魔様にとどければいいものわ、目立ちがりやの癖が出て、「ありがたや、かっちけねえ」と御印文を額に当てて見得をきったものですから、五右衛門はそのまま極楽往生してしまったということです。
参考
千字寄席
御印文頂戴というのは今でも行われていますのでおなじみですが、これを額に当ててもらうことで極楽往生が叶うというのもちょっと安直のような気がいたしますが、江戸時代の出開帳の時などはたいへんな人気で、これを目当てに参拝客が殺到したということです。
この落語のタイトルとなっている「お血脈」というのは、御印文頂戴とはまた違ったもので、仏法が釈迦から現在の大勧進、大本願の住職まで続く系図のようなもので、これを頂くことで釈迦の弟子となれるというありがたいものです。おそらく御印文を頂戴することで、善光寺如来からのお血脈わ頂くことになるという意味ではないかと思います。
江戸時代の善光寺の人気は大変なものだったらしく、参拝客の数も伊勢神宮に次いで全国で2位ということでした。中世の大塔合戦の時代から300年が過ぎ、善光寺はさらに多くの善男善女の信仰を集めるようになったわけですが、大塔物語に描かれる善光寺信仰と「お血脈」に描かれる善光寺信仰とはその性格においてだいぶ変わってきているように思われます。確かに落語ですから信仰を茶化すような点は否定できませんが、御印文頂戴がはやったという風潮は確かにあったわけで、信仰が個人的で具体的なものから大衆的で普遍的なものに変化したといったらいいのでしょうか。その変化が善光寺をより親しみやすい寺にしたのでしょう。