深夜食堂

南宜堂

2012年10月14日 22:36

喜多方での一箱古本市の会場となったのは「つきとおひさまhttp://tukitoohisama.com」という食堂だった。そのようすについては、ブログにも書いた。先日、そこのブログを見ていたら福原希己江という歌手のライブが行われたという記事があった。初めて聞く歌手である。「深夜食堂2」というドラマの挿入歌を歌っている人だという。これもまた初めて聞くドラマである。今は便利になって、YouTubeを使うと歌もドラマのエッセンスも見ることができる。都会の片隅に住む孤独な人々が心を温めに来る場所、そんなコンセプトのドラマのようである。
深夜食堂ではないが、京都の大衆食堂でほぼ1年間アルバイトをしたことがあった。その食堂は朝10時頃から夜の9時頃まで営業している店で、私は11時から9時まで、間に2時間の休憩をはさんで働いた。昼時は近くの会社のサラリーマンで眼のまわるような忙しさだった。最初の頃は皿洗い専門だったが、そのうちに簡単な料理は任された。そこで丼物の作り方もオムライスやチャーハンの作り方も習った。関西の丼物はつゆが多めで、少ないとこれでは食べられんと怒られた。
夜は客も少なく、毎日来る常連さんがほとんどだった。結構くせのある人が多くて、おかまバーのママさんとか、毎日隅の席に座ってお酒を二合とそのあとご飯を食べて帰るおじいさんとか、昼と夜ではお客さんの層ががらりと変わった。一緒に働いている人たちもいろいろで、ご主人がアル中の奥さんとか、茶髪のお姐さんとか、まさにドラマになりそうな食堂であった。
私は酒を呑まないので酒場というところにはほとんど行くことがないが、こんな場末の大衆食堂というのは、人の人生の交差点のようなところがある。まだ二十歳そこそこであったから、その人たちの人生に心を寄せるということはなかったが、今だったら多少の共感を持ってあの人たちが呑み、食べるようすを眺めることができただろうと思う。
いま、あんな食堂はめっきり少なくなってしまった。ファミリーレストランができて、ハンバーガー屋ができて、ホカ弁ができて、牛丼屋が増えた。今時大衆食堂をはじめようとする人もいないだろう。そんなハイカラな場所がそぐわないと思っている人たちは行き場所がなくなってしまった。もしかしたら、コンビニで酒とおでんを買ってきて、テレビを見ながらちびりちびりとやっているのか。



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