2008年04月20日

歌人清原日出夫のこと

 清原日出夫という歌人のことを最近知りました。60年安保のころに青春時代を過ごした人で、学生時代から短歌の才能を開花させ、西の清原東の岸上といわれたと解説書にはあります。岸上とは岸上大作のこと、「意思表示せまり声なき声を背にただ掌の中にマッチ擦るのみ」の歌はあまりにも有名です。
 さて、清原さんのことです。北海道の出身、縁があって長野県庁に勤め、定年後は歌誌「五〇番地」を主宰していました。
 「60年安保をデモ隊の中から歌った著者は、岸上大作と並び称された学生歌人だった。県庁を退職後、「五〇番地」を舞台に作歌を再開。「長すぎる冬眠に区切りをつけ、おずおずと短歌を作り始めた」」と朝日新聞の記事にあります。2004年6月肺がんのため亡くなりました。67歳でした。
冬の陽はかげりしままに暮れゆかん〈不戦の集い〉のなかに入りゆく
 時代は違いますが、御所の横の狭いキャンパスで青春の一時期を過ごしたものとしてちょっと感傷的な気分になって、「清原日出夫歌集」を古書店に注文したのです。
 県庁を退職してからの作品を掲げます。
それぞれは秀でて天を目指すとも寄り合うたしかに森なる世界
蒙昧の民の一人として思ういかなる権力も疑えとのみ
 ここにも一人、「今日は新しい靴下をはいているのだと」自分にいい聞かせながら生きた人がいたのです。



Posted by 南宜堂 at 22:02│Comments(0)

 
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