2008年04月24日

狂言「八尾」のこと

 河内国(現在の大阪府)八尾に住んでいた男が死んでしまい、あの世へいくためのわかれ道である六道の辻で休んでおりました。そこに閻魔大王が現れます。閻魔様ががなぜここまでわざわざやってきたのかというと、近ごろ仏教が盛んになって、信者を極楽に送ってしまうので地獄に来る亡者がめっきり少なくなってしまった。そこで、今日は六道の辻に出てまいって地獄に責め落とす罪人をスカウトに来たというわけなのです。
 いいカモがいたとばかり、八尾の男を責めるのですが、彼は閻魔様の前に八尾の地蔵の手紙を差し出します。閻魔様と八尾の地蔵はむかしは言い交わした仲、なつかしやと手紙を受け取る閻魔様。そこには、この男は自分の檀那である又五郎の小舅であるので極楽にやって欲しいと書いてありました。頼みが聞かれぬ場合は地獄の釜を蹴り割るというのですから穏やかではありません。しかたなく閻魔様は八尾の男を極楽へと送ることにしたというのです。

 狂言は能と同じくらいに古い歴史がある芸能です。この狂言「八尾」がいつごろ成立したものかは不明ですが、落語「お血脈」よりもまだまだ古い時代から地獄や閻魔大王が茶化されていたようです。私たちは平安・鎌倉時代の善光寺信仰の熱心さをいくつかの例をあげながら見てきました。一方で江戸時代の善光寺の人気は大変なものだったらしく、参拝客の数も伊勢神宮に次いで全国で二位ということでした。中世の大塔合戦の時代から三百年が過ぎ、善光寺はさらに多くの善男善女の信仰を集めるようになったわけですが、大塔物語に描かれる善光寺信仰と「お血脈」に描かれる善光寺信仰とはその性格においてだいぶ変わってきているように思われます。
 落語ですから信仰を茶化すような点は否定できませんが、御印文頂戴がはやったという風潮は確かにあったわけで、信仰が個人的で具体的なものから大衆的で普遍的なものに変化したといったらいいのでしょうか。その変化が善光寺をより親しみやすい寺にしたのでしょう。



Posted by 南宜堂 at 21:26│Comments(0)

 
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