2008年05月02日
牛乳の思い出
長野市の裏町を歩いていて、めずらしいものを発見しました。木製の牛乳受けです。カメラの持ち合わせがなかったので写真は撮らなかったのですが、機会があったら撮って紹介します。長野牛乳という文字とマーク入りです。長野牛乳はかつて長野市にあった牛乳会社で、マークが昔の長野市の市章によくにた星にのの字のマークでした。
少し年配の方だと記憶にあると思うのですが、牛乳はガラスの瓶の時代で、ふたにも爪がついていなくて千枚通しのようなものをふたに刺して抜いておりました。牛乳を宅配してもらっている家庭にはこの木製の牛乳受けがぶら下がっていたものです。そのうちにプラスチックのものに変わりました。
偶然というのは重なるもので、某スーパーでその長野牛乳の工場のパネル写真が飾られているのを見かけました。私の記憶に間違いがなければ、この工場は中御所の長野日産の駐車場になっているあたりにあったと思います。
長野にはもう一軒ノーコー牛乳というのがあって、これが2大メーカーでした。その頃学校ではまだ脱脂粉乳が給食に使われていたと思います。しかし、牛乳が贅沢品という感覚はなく、あの脱脂粉乳の使用は何だったのでしょう。
少し年配の方だと記憶にあると思うのですが、牛乳はガラスの瓶の時代で、ふたにも爪がついていなくて千枚通しのようなものをふたに刺して抜いておりました。牛乳を宅配してもらっている家庭にはこの木製の牛乳受けがぶら下がっていたものです。そのうちにプラスチックのものに変わりました。
偶然というのは重なるもので、某スーパーでその長野牛乳の工場のパネル写真が飾られているのを見かけました。私の記憶に間違いがなければ、この工場は中御所の長野日産の駐車場になっているあたりにあったと思います。
長野にはもう一軒ノーコー牛乳というのがあって、これが2大メーカーでした。その頃学校ではまだ脱脂粉乳が給食に使われていたと思います。しかし、牛乳が贅沢品という感覚はなく、あの脱脂粉乳の使用は何だったのでしょう。
Posted by 南宜堂 at 21:27│Comments(0)