2008年06月06日

街の表情 鶴賀

 1876年、権堂村、問御所村、七瀬村が一緒になって鶴賀村ができるわけですが、このころの鶴賀は一面の田んぼであったということです。
 それから2年後、明治11年に鶴賀遊郭がそんな田んぼの真ん中につくられました。
 今の鶴賀に、明治以前の田園地帯の面影はもちろん、その後の鶴賀遊郭の面影を探すのも困難です。遊郭は姿を消しましたが、その周辺にあった歓楽街は往事の繁栄はなくなったとはいえ、いまだ健在です。
 写真は鶴賀にある長野中央病院の駐車場屋上から権堂方面を望んだものです。

街の表情 鶴賀

 高層マンションと駐車場が目立ちます。鶴賀はハングル文字が目立つ街です。赤い建物は閉店した焼肉店のようです。

街の表情 鶴賀

 往年のスバル360がゴミにまみれていました。鶴賀の街にはこんなオブジェ?がところどころにあって、それがまた街の雰囲気にあっているようです。

街の表情 鶴賀

 遊郭には、売られてきた女たちの悲しい物語が残されていて、そんな跡にノスタルジーを感じるというのも後ろめたい気がするのですが、人間の営みのいちばん根源的なものがそこにはあったせいか、なぜか歩いていてほっとするのです。
街の表情 鶴賀



Posted by 南宜堂 at 21:22│Comments(0)

 
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