2008年06月13日

赤報隊のこと

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますが、明治維新の時の状況はまさにそれであったと思います。薩長軍にしろ幕府軍にしろ、その思想的基盤はそれほど変わりがあるのではなく、その時の勢いで薩長についたり幕府側についたりというのが、多くの藩の状況でした。特に信州の諸藩にはそんな傾向が強かったようです。佐久間象山や坂本龍馬のように明確に日本の未来像を描いていた人たちは少数派でありました。
 相楽総三と赤報隊について、勤王のために戦いながら上層部の都合で偽官軍となった犠牲者といういうのが通説です。現に相楽の子孫は、偽官軍の汚名を晴らすために奔走し、昭和になってようやく名誉の回復が実現したということです。しかし、相楽総三にとって官軍の仲間に入れてもらうことが名誉の回復になったのでしょうか。
 彼が「年貢半減」と民衆に訴えたことの真意は、新しい時代は、虐げられていた百姓たちににとってきっといい世の中になるのだということであったのだろうと思います。しかし、新しい時代はそうはなりませんでした。維新後百姓一揆が頻発したことでもそれはわかります。



Posted by 南宜堂 at 20:42│Comments(0)

 
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