2013年06月24日

公共の福祉

 しばらくブログの更新をさぼってしまった。今週末に迫った講演会?、トークショー?の原稿づくりで気持ちの余裕がなかったからだ。ようやくお話することの骨子が決まったので、少し気分が楽になった。それでというわけではないが、昔の映画「二十四の瞳」をテレビで見た。木下恵介監督・高峰秀子主演のものだ。
 安倍晋三が首相になって、憲法改正が現実のものとして議論されるようになったいま、改めてこの映画をそんな観点から見た。木下監督といえば、戦争中に撮った国策映画が軍部ににらまれたというエピソードがある。別に戦争反対をそのまま画面ぶつけたわけではなく、出征兵士を送る母親の姿をえんえんと追ったということが厭戦的と取られたのだという。
 「二十四の瞳」は戦後新憲法下で撮られた映画だが、これもまた戦争反対を声高に叫んでいるわけではない。分校の若い教師高峰秀子と12人の教え子の戦中・戦後を淡々と描いたもので、軍隊も特高も画面には直接現れない。しかし、この映画に描かれる20年ほどの歳月の中で、高峰の夫は戦死し、幼い娘は飢えのため柿の実を取ろうとして木から落ちて死んでしまう。教え子たちの何人かも戦争で死に、貧しさ故に運命を狂わされたものもいた。
 こういう映画がもし戦争中に作られたならば厭戦的ということで即刻上映中止になっただろうと思う。こういうことを縛る法律があったのだ。今の憲法では表現の自由というのが最大限守られている。「二十四の瞳」もそんな憲法に守られて作られ上映されたのである。
 自民党の憲法草案には国民の権利について「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件がつく。現日本国憲法では「公共の福祉に反しない限り」という条件がついている。公共の福祉とはいい言葉だ。「みんなの幸せを妨げない限り」ということだ。ところが自民党の案は「国の都合に反しない限り」と読める。例えば戦争は国策であるから、それに反対するのは非国民というわけだ。
 まさか自分の眼の黒いうちにこんなことになろうとは夢にも思わなかった。参議院選も自民党が勝つようだし、国民の多くはアベノミクスを支持し、原発や平和憲法は二の次でいいようだし、ちょっと怖い世の中になってきたという思いが強い。
 万に一つもそういうことはないと思うが、アベノミクスが成功し私の店にも客が殺到しても、原発反対・戦争反対の自分の意志は枉げないようにしよう。かの真田幸村が信濃の国一国を与えると家康に言われてもその意志を枉げなかったように。私はそれほどのものではないか。
公共の福祉



Posted by 南宜堂 at 10:25│Comments(0)

 
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