2013年07月15日

ノモンハン

昨日、店でノモンハン事件の本を買っていかれた方がいた。御年90歳であるという。この戦いに一兵卒として参戦し、多くの戦友を失ったのだという。その鎮魂のために毎年靖国神社にお参りするという。「いろいろ言う人もいるけれど、あそこは大事な所だと思います」と。
戦死者を英霊と呼んで神としてしまうことの愚。あそこには戦争犯罪人も祀られている。彼らも神なのか。そういうことが頭に浮かんだが、それはあの場所でいうことではない。黙って相槌を打っていた。
ノモンハン事件については、日米海戦の数年前に満蒙国境で起こった軍事衝突であること、日本軍に多大の被害があったことなどという知識しかなかった。
あの衝突に一兵卒として参加した人には、そんな歴史教科書的な知識とは違った思いがあったに違いない。70年以上経って、あれは何だったのかという思いが募ったのであろう。
戦争というのは、政治的・経済的対立が煮詰まって起こる軍事衝突だと思うのだが、それに参加している兵士にはそんな大局的な話はどうでもいい。命のやりとりをする日常、平和な日々から見れば非日常だが、そんな極限状態の日々に様々な思いが投影するのである。
いま、国を思う気持ちがあれば喜んで戦うべしという人たちは、恐らく戦争を一兵卒の立場から見られない人たちなのだと思う。戦争を知らない世代がほとんどとなった今日の日本で、感覚で戦争は嫌だと言える人たちがいなくなることの怖さを感じている。



Posted by 南宜堂 at 13:14│Comments(2)

この記事へのコメント

田中克彦『ノモンハン戦争』(岩波新書)をお勧めします。以前ブログでも紹介しました。

http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20090630
Posted by mmpolo at 2013年08月13日 08:52
ありがとうございます。古本で探して見ます。
来週原さんが長野にきます。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2013年08月13日 14:37

 
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