2008年09月19日

タカダワタル

 昨日紹介した「下宿屋」は1972年に発表されたアルバム「親愛なるQに捧ぐ」に収録されています。「京都の秋の夕暮れはコートなしでは寒いくらいで」という歌詞は実感でした。この唄を聞くたびに思い出すのは白河通りのバス停です。あの時代の若者というのはあんな雰囲気の中にいたのです。もちろん誰もがというわけではありませんが。
 この歌詞にある君というのが高田渡のことであるということを最近知りました。加川良は高田渡のマネージャーから歌手になったのは知っていたのですが。高田渡は岡林信康や高石ともやと並んでフォーク全盛期を築いた伝説的な歌手です。しかし、同時代の吉田拓郎や井上陽水などと違いメジャーになることなくコンサートを中心に活動していました。2005年コンサートツアーの途中で亡くなりました。その彼の日常を描いた映画「タカダワタル的」が評判になりましたが、残念ながら見てはおりません。
 加川良もやはりメジャーになることはなく、コンサートを中心の活躍をしています。「ウィキペディア」の「加川良」の項目を見ますと、フォークのリーダーとして吉田拓郎か加川良かといわれた時代があったというのですが、加川良は吉田拓郎とは対照的な道を歩みました。
 才能はありながら、うまく時流に乗れず表に出ない人というのはいるものです。高田渡も加川良もそんな人であったようです。二人とも無理してメジャーになるよりも意識的に今の道を選んだのではないか、そんな気もします。
 映画「タカダワタル的」が偉大なるフォーク歌手高田渡を知らない若い人たちにも支持されているというのはどういう現象なのでしょう。ギターも弾き唄も歌う酔っぱらいのおじさんに、人間のまともな生き方を感じたのではないか。あるいは「下宿屋」に歌われているような暖かさを高田渡に見ているのでしょうか。
 



Posted by 南宜堂 at 00:16│Comments(0)

 
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