2008年10月06日

人の情けが身にしみる

 映画「三丁目の夕日」では、いくつかの物語が展開していきますが、その中でも感動的なのは茶川とヒロミと淳之介の物語です。この3人には何の血のつながりも夫婦関係もない赤の他人です。茶川が淳之介に泣きながらそう叫ぶ場面もありました。
 ババ抜きのゲームのようにして茶川の元に連れてこられた子供が淳之介でした。最初は厄介者扱いしていた茶川は、一緒に暮らすうちに子供のように可愛くなっていくのです。淳之介も実の父である高名な作家より茶川を選ぶのです。ヒロミは淳之介を茶川に押しつけ、厄介払いできたと思ったのですが、だんだんに二人の関係の中に入りたくなってきます。
 このドラマは、昭和30年代という時代を背景に展開される人と人の情愛のドラマなのですが、このドラマ、現代を舞台にしてはいけなかったのでしょうか。作者の思いを想像するに、こういった物語は現代を舞台にしたら嘘っぽくなると考えたのではないのかと思います。時代を巻き戻し、30年代にしたことで、ありそうな物語として観客が納得してくれると考えたのでしょう。
 しかし、そのことで、あの時代は人情に厚かったと思ってしまうのもまた間違いではないかと思います。そんな統計が残っているわけではなく、私たちの記憶がそんな風に思わせているだけで何の根拠もないのです。むしろ社会福祉ということでは現代の方が充実しています。「昔はよかった」という私たちの思いこみのからくりはよく見ておかなければいけないことです。そういう風に冷静に判断していって、それでも秘密結社「イエスタディズ・ワンス・モア」のように栄光の過去を追い求めるのでしょうか。カーペンターズのソフトな歌声が頭に浮かびます。



Posted by 南宜堂 at 23:20│Comments(0)

 
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