2008年10月26日

万平ホテル

 軽井沢の恩人であるショウとともに軽井沢を訪れたディクソンも、日本を去るまで毎夏軽井沢に避暑に来ていました。彼が滞在したのは、軽井沢宿の亀屋旅館でした。ディクソンは館主の佐藤万平に、亀屋を外国人が泊まれるような洋式のホテルに改築することを勧めていたようです。
 ディクソンは明治23年に日本を去るのですが、佐藤万平が彼のアドバイスを聞き入れたのはそれから4年後の明治27年のことでした。きっかけはアジア各地の宣教師が軽井沢に集まる軽井沢会議が開かれると聞いたからでした。入口にガラス戸を取り付け、畳を取り除いて板張りにし、トイレも洋風にしました。この時つけられた屋号が「万平ホテル」、外国人も発音しやすいようにとMANPEI HOTELとしたということです。
 その後、明治35年桜の沢に本格的な洋風のホテル「万平ホテル」を建設します。この万平ホテルは運営会社が代わったもののまだ健在です。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞在したことでも知られています。

万平ホテル



Posted by 南宜堂 at 23:22│Comments(2)

この記事へのコメント

いつか万平ホテルのティールームでアップルパイを頂きたい!という憧れを持っています!行ってみたいのです!
ビートルズ世代ではないのですが
数年前大宮のジョンレノンミュージアムに行ったことがあります!

そこには万平ホテルのカフェがあってジョンレノンが伝授した?というミルクティーを頂いてきました

軽井沢に行くとフランスベーカリーのフランスパンを買いますジョンレノンが 自転車の前カゴにフランスパンを入れて買いにきたという旧軽の店です

長野県民として 私の中では 軽井沢は軽井沢だから好きです。長野にそうした歴史ある避暑地軽井沢があることはうれしささえ感じます。
軽井沢も時代とともに情勢が変わっているようです。けれども軽井沢は軽井沢でありつづけてほしい気持ちです。

万平ホテルには猫足バスタブの部屋が残っているのでしょうか?

バスタブを見るのは叶わないでしょうがティールームなら?!いつか行ってみたい場所です。

同じ県内でもなかなか行かれませんが。。
Posted by みうみうBETTY at 2008年10月30日 06:21
みうみうBETTYさま
「書を持って町に出よう」がモットーの南宜堂ブログですが、根っからの出不精と貧乏性のためか、めったに町に出ず、本を読んだだけで知ったかぶりで書いていて反省しています。
 軽井沢はほとんど知らず、昔結婚式場の取材に行ったり、碓氷線や草軽電鉄の取材で訪れたとかそんな記憶しかありません。
 軽井沢にはあの時代に万平ホテルとともに軽井沢ホテルというのと三笠ホテルというのができたのですが、行ったことのあるのは三笠ホテルだけです。これが草軽の線路跡の近くにあって、その取材の途中に立ち寄っただけなのですが、当然ながらもう営業はしていませんでした。確かそこには猫足のバスタブがあったように記憶しています。
 善白に興味をお持ちのようですので、もしかしたら草軽にも興味はおありかと思います。いつか昔の取材帳をひっくり返して書いてみようとも思っています。
Posted by 南宜堂 at 2008年10月30日 09:43

 
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