2008年11月01日

資本主義社会

 内山節さんという方は私の尊敬する学者さんです。信濃毎日新聞の連載は興味深く拝見しておりますが、本日は資本主義社会における貨幣の問題について書かれておりました。
 野生動物の世界では、生きるための食物を自然の中から獲得しています。昨今問題となっている、人里に現れては作物を食い荒らす熊や猪などでも、人間から見ると窃盗行為のようなことをを意図的にやっているわけではなく、生きていくための自然な行為であるわけです。
 そんな野生動物から決別して、私たち人類の祖先は食物を栽培することを覚えました。こうすることで、年中飢餓に苦しむことはなく、安定した食料の供給が得られるようになったのです。そのうちに人類の生産力は進歩し、余剰の食物を産み出すようになります。この余った部分を交換に回すことで自分たちで産み出せない食物を得ることができ、農機具など生産のための道具や、場合によっては武器とも交換することができるようになります。そのうちに余剰を産み出す力の差によって、そこに格差とか階級とかいったモノが生じてきます。
 それと並行して、モノとモノとの交換に不便を感じた人類は、貨幣というモノを考え出します。貨幣というのは一種の記号ですから、どんなモノとも交換できるのです。
 貨幣はひじょうに便利なモノですから、力のある人たちは貨幣を貯めるようになります。こういう人たちが資本家となり、貨幣により生産手段を整え、労働者を雇い、商品の生産をはじめるようになります。
 ひじょうに単純な形になりましたが、資本主義のいちばん元の形はこんなことであると考えても間違いではなかろうと思います。
 とここまで書いたら眠くなってしまいました。つづはまた



Posted by 南宜堂 at 23:24│Comments(0)

 
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