2008年11月02日

吾唯我慢を知る

 資本家は、生産を拡大することで資本を拡大していくわけですが、生産を伴わないで貨幣を増やすことはできないかという、錬金術のような発想も生まれてきます。手っ取り早い方法は、強盗でもして人の貨幣を奪えばいいのですが、それはやるわけにはいきません。投機というモノが考えられます。不動産とか株券とかねそれ自体では生産物ではないモノに資本を投じて利ざやをかせぐというものです。このことではバブルの時に日本はえらい目に遭いました。世界中の不動産を漁り、美術品を買いまくり、日本の悪評が広まりました。そしてバブルの崩壊です。
 そういうリスクを軽減して貨幣を増やすための方法として考え出されたのが、債権を分割して売りまくるということなのだそうです。そのさいたるモノがサブプライムローンで、分割して世界を駆け回っているのだというのです。そこらへんのところは私にはよく理解できていません。よくわかりませんが、サブプライムローンにしろカードローンにしろ、自分が返済できる能力を超えて借りてしまったことの悲劇なのだと思います。
 まだ、テレビ放送がはじまったばかりの頃、アメリカのホームドラマを多く吹き替えで放映していました。外人が日本語をしゃべる不思議さもさることながら、そんな人々が大きな冷蔵庫を持ち、車を何台も所有するとという夢のような生活をしているのにただびっくりしたものです。
 今から考えてみると、アメリカのすべての家庭があんな生活をしていたのではなかったと思います。しかし、同じアメリカ人でありながらそんな生活をしている人たちを見せつけられれば、自分たちもいつかはと思うのは当然です。それがローンという方法で手に入るとすれば、我慢はできなかったのでしょう。今日の金融危機の底辺にはそんなアメリカ社会の格差と背伸びが横たわっているようです。
 京都のお寺(ネットで調べたら竜安寺であることがわかりました。)に「吾唯足知」ワレタダタルヲシルという書かれたつくばいがあります。ちょうど寛永通宝のような形をしていて、真ん中の□を共有して四文字を配しているのですが、これをもじれば吾唯我慢を知るための精神修養を積まなければ貧乏人は生きていけないのかと思います。



Posted by 南宜堂 at 09:47│Comments(0)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。