2008年12月24日

僕は泣いちっち

 住んでいる家までも追い出されてしまうという派遣の労働者がいる一方で、山村では空き家が増えているというのは、日本の産業構造のゆがみを象徴するような現象ですが、だからといって足して2で割ればちょうどいいというわけにはいかないというのは昨日書きました。
 それでも昭和30年代の前半くらいまでは、農業だけで生活しているという人たちも大勢いたように思います。日本が今のように田舎では生活できなくなったのはそれほど遠い昔の話ではないのです。

僕の恋人東京へ行っちっち
僕の気持ちを知りながら
なんでなんでなんで
どうしてどうしてどうして
そんなに東京がいいんだろう
(守屋浩「僕は泣いちっち」)

 男が女々しいのはこの頃なのかもしれませんが、いずれにせよこうして東京に出て行く若者が大勢いたのです。しかし、東京の暮らしも仕事もあこがれていたものとはほど遠く、単調でおもしろみのないものでした。それでも、歯を食いしばってがんばるというのが、当時のありうべき労働者像でした。



Posted by 南宜堂 at 23:39│Comments(0)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。