2009年01月06日

お稚児さん

 美しく化粧して飾り立てた子供たちが練り歩く稚児行列というもの、長野でも見られるのですが、これって古来から続く伝統行事なのでしょうか。
 田中貴子著「性愛の日本中世」(ちくま学芸文庫)には中世の稚児の実際が描かれていて興味深いものがあります。稚児とは無邪気な子供という範疇を越えた、性的で聖的な存在が浮かび上がってきます。
 中世の寺院には、戒律により妻帯が禁じられていた僧侶の身の回りの世話をする童あるいは童子と呼ばれる男たちがいました。彼らは成人してもやはり童子と呼ばれていました。童子の中でも12、3歳から15、6歳くらいまでの高い身分の少年たちを上童といい、その中で僧の寵愛を受けた者を稚児といっていました。ですから僧と稚児の関係は、師と弟子の関係であると同時に愛人関係でもありました。
 中世の社会に稚児というものが存在していたのは、仏教における女犯の禁がその背景にあります。といっても、女性はだめだから代用として稚児を性的な対象にしようというような単純なことではなく、僧侶は稚児を神仏の化身として愛したのです。
 稚児になるためには稚児灌頂を受けねばならず、神仏の化身として性愛を方便として僧を発心に導く「聖なるもの」と信じられていました。
 現代の稚児行列は女の子の方が多かったりしますが、本来女の子は稚児にはなれない存在でした。
 いつの頃からか僧侶の妻帯は当たり前となり、稚児の存在も必要なくなりました。それに呼応して僧侶のありがたみもだいぶ薄らぎました。



Posted by 南宜堂 at 00:31│Comments(0)

 
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