2009年01月08日

エリート

 東大を出て大蔵省(財務省)に入るのが国のエリートコースなら、小振りですが県庁の職員になるというのは地方におけるエリートコースになるのでしょう。彼らはいずれも公務員で、昔風にいえばお役人様です。国民や県民に対して治めるという態度で臨む人が多いのもさもありなんです。
 こういう人たちはおそらく世の中には治める人と治められる人というのがいて、治められる人たちは治める人のために奉仕するのが当たり前であると考えているようです。
 今盛んに問題となっている派遣労働についても、治める人たちから見ると、多様な働き方を作ってやったのに、ひとたび自分たちが解雇されるとなると騒ぎ出すのはおかしいのではないかというくらいの感覚でいるのでしょう。総務省の某政務官(政治家ではありますが官僚のようなものでしょう)の発言を聞くとそんな気がいたします。
 治められるひとというのは怠け者や能力のない人たちが多いから、一様に正社員にすることは企業にとってマイナスである。余り働きたくない人は働きたいときにだけ働くというありがたい制度に文句をつけることはおかしいのではないか、そんな感覚でいるのでしょう。
 世のエリートと呼ばれている人たちでなくても、私たちは小さな時から、その人の持つ能力によって優秀な人間からだめな人間まで差別される社会を当たり前の社会と思ってきました。ですからなんとか優秀な仲間に入りたいと思った人はそのために努力をしてきたようです。そういう努力をしないものは社会では尊敬されることもなく、経済的にも恵まれない生活をするのは当然のことと思われてきました。努力するものは報われる社会というのは健全なのだと。そういう社会がエリートを育ててきたのかもしれません。



Posted by 南宜堂 at 00:02│Comments(0)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。