2009年04月22日

善光寺に集まる芸能者

 先に紹介した「遊行上人縁起絵」、細かいところまで見ているとまことに興味深いものが書き込まれています。絵巻物は歴史資料の宝庫だということがよく言われますが、なるほどと思います。
 本堂の階段や欄干に座って時衆のパフォーマンス?を見る人たちの中に、僧兵の姿や武士と思われる人たち、女性の姿も多く見られます。「遊行上人縁起絵」が描かれたのは14世紀はじめといわれています。模写を経ることで多少は時代的な脚色もなされたでしょうが、中世の善光寺の姿であるといえます。
 時代の風俗についての知識が足りないので、正確にはいえないのですが、明らかに旅の芸能者や物乞いなどの姿も描かれています。大きな傘を差し掛けているのは説経師でしょうか。彼らは善光寺の境内で「かるかや」の物語などを語ったといいます。
 一般に現代に活字の姿で伝わっている中世の物語のほとんどは、唱導文学といって、人々を前に語られることで成り立ってきたものです。「かるかや」などの説経、「平家物語」や「太平記」そして「曽我物語」もそうでした。
 これらの物語は寺社を舞台にして語られたものです。ですからその成立に僧たちが関わっていたということは十分に考えられることです。物語の内容を見ても仏教による救いが大きな主題となっています。
 問題は僧たちによって作られた物語がどのようにして専門の芸能者のもとに伝わったのかでしょう。あるいは、芸能者たちはどうやって発生したのか。ただ自然にわいてきたなどということは考えられないわけですから、どこかに発生の契機があるはずです。
 例えば、能の起源は神社に奉納する翁舞いをする下級の神官たちから生まれたということが言われています。そこから考えると、説経師、歩き巫女、熊野比丘尼、琵琶法師といわれる人々のルーツも僧、聖であるのかもしれません。
 
善光寺に集まる芸能者


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Posted by 南宜堂 at 00:03│Comments(0)善光寺

 
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