2007年07月06日

はじめてを見に行く 放送局

 
 今は若里に引っ越しましたが、NHK長野放送局は長く城山にあって、市民にもおなじみでした。いまだに放送局といえば城山と反射的に出てしまいます。そういえば、民放のSBCも吉田から移ってしまいました。
 「信州はじめて物語」によれば、日本でラジオ放送がはじまったのが大正14年の7月12日と書かれておりますが、実際には3月22日から仮放送がはじまっておりました。その3月22日朝9時30分、京田武男アナウンサーの「JOAK。こちらは東京放送であります。こんにちただいまより、放送を開始致します」という第一声に続き海軍軍楽隊の演奏がありました。JOAKは東京放送局のコールサインで、JOBKは大阪放送局、JOCKは名古屋放送局のそれぞれコールサインでした。この時のラジオの受信契約者は5455人でした。
 長野でのラジオ放送の開始ですが、遅れて昭和6年でした。しかし、それ以前にラジオ受信機を購入して、東京の放送を受信する人が多くいたようです。
 3月8日、長野放送局はJONKのコールサインで放送を開始しました。当時は長野放送局独自のプログラムというのはなかったようで、東京からの放送でした。ちなみにこの日のプログラムは、
午前9時 気象通報
午前9時10分 栄養料理「牛蒡の卵とじ」
午前9時30分 子供の時間「うたと唱歌」
午前10時 修養講座「信仰と実行」
午前10時50分 長野放送局開局式状況
正午 時報
午後零時30分 ニュース
午後零時40分 ラジオドラマ「結婚」
と続いています。この日は日曜日でした。
 プログラムを見ていると、どんな内容なのかと興味をひかれます。さすがに私もこの時は生まれていませんから想像するしかないのですが、教養から娯楽までバラエティに富んでいたようです。開局当時の長野放送局の写真が残っていますが、平屋建てでアンテナがにょっきりと伸びています。ついでにテレビですが、長野放送局の開局が昭和32年5月30日でした。
 城山公園と城山小学校の間の道を登り詰めたところが蔵春閣、このあたりがかつては長野の一大文化拠点でありました。長野放送局はその一角にあったのですが、近くには気象台、市民会館、市営球場なんかもありました。善光寺の御開帳に付随して開かれる博覧会もここが会場になりました。そういえば、えびす講の花火がまだ柳町の高土手で打ち上げられていた頃、城山公園は花火見物の格好の場所であったということも聞いたことがありました。
はじめてを見に行く 放送局



Posted by 南宜堂 at 21:00│Comments(0)

 
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