2007年02月20日

問8の解説

 北小林も南小林も松本にあった西洋料理店です。古い松本市史から引用しましょう。
「(明治)三十七八年頃緑町に某洋食店開かれしも久しからずして閉店し、南小林北小林の創めしは四十年よりなりと云ふ。尤も当初はカツレツ・ビフテキ・オムレツ・ライスカレー等数種なりしも、其後漸次増品し近来は廿種に上る。」
 南小林は中町に北小林は上土にあって、昭和7、8年頃までは営業していたようです。両店とも松本の洋食店としては草分け的な存在だったのでしょう。同じ松本市史に次のような記述もあります。
「大正五年来々軒と称する屋台店出来、支那料理を始め市中に行商せり。七年東小路に竹の家開業す。種類はワンタン・支那そば・次にチャーシューメン・スブタ・カニ玉・獣鳥肉ウマニ等簡易にて廉価なるを以て学生労働者等の歓迎を受け云々」
 さらに牛肉屋についても述べています。
「維新前は仏教道教の思想に基き絶対に獣肉を用いざりしも、維新後文明開化思想の浸潤により牛肉を食い始め、明治八年頃今の郵便局の処に松橋亭と云える牛肉店開業あり。併し老人又は婦女子は当時尚之を忌避せり。しかも尚馬肉に及ばず。其馬肉への箸の附き始めは十五六年頃ならん。其頃馬肉と云うことを恥じて、鶴と俗唱せり。蓋しつるは馬の字の草書なればなり。併し二十年以後は屠馬の数屠牛を凌駕せり。豚は後れて二十五六年以後なり。」



Posted by 南宜堂 at 23:10│Comments(0)

 
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