2007年02月22日

問10の解説

 明治41年、長野市の城山公園一帯で開かれた一府十県連合共進会の会場付近に「観戦鉄道」という見せ物が小屋掛けしたという記録があります。これは観客が列車に乗って館内をまわりながら、旅順、奉天など日本軍が勇敢に戦った21カ所の戦場を見て回るというもので、今なら東京ディズニーランドのアトラクションにでも採用されそうなアイデアでしょう。
 府県連合共進会は、東京府、神奈川、新潟、埼玉、群馬、千葉、茨城、栃木、山梨、愛知、長野の一府十県が持ち回りで毎年開催しているもので、長野県では明治三十九年に誘致を決め、二年余にわたって準備をすすめてきました。そもそも共進会とは、博覧会の規模を小さくしたようなもので、穀物や蚕種、牛や豚といった農産物や、織物、農機具、織機などの工業製品を持ち寄って行う品評会だと考えていただければわかりやすいでしょう。
 見物人を当て込んで、会場の外には多くの飲食店や見せ物小屋が客を呼んでいました。「観戦鉄道」もそのひとつでした。
 いま信濃美術館や東山魁夷のあるいわゆる城山公園は、一府十県連合共進会の会場となったのを契機に整備され、公園となりました。この共進会の開催は、長野が近代的な都市に発展するための起爆剤の役目を果たしたといわれています。しかし一方で、馬鹿騒ぎに終始しただけで、肝心の長野市の産業の発展には何の役にも立たなかったという批判も聞かれました。



Posted by 南宜堂 at 23:03│Comments(0)

 
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