2009年07月16日

白河の関

 みちのくの入口である白河は、その地理的な条件のために幾たびか血なまぐさい戦場になっていますが、一方でみちのくへの旅の途次、多くの文人墨客が足を止めた場所でもありました。
 有名な白河の関がこの地にあります。せっかく白河に来たのだからというわけで、「白河の関」に案内していただきました。
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
 能因法師が白河の関を越えるときに詠んだというこの歌はあまりにも有名です。一説には能因は白河には行ったことがなく、都にいてこの歌を詠んだのだともいわれています。
 というのも、当時のみちのくというのは、まだまだ京都から見ればはるか遠い場所であり、いかにあこがれていても簡単には旅をできるような場所ではなかったようです。そんな事情からか、各名所をあたかも行ってきたかのように詠むことが盛んで、そんな名所を歌枕とよんでいました。わが信州でも「姨捨の月」や「望月の駒」が歌枕といわれ、都の人々が多く歌をつくっています。
 そんなことで実際に現地に行って歌を作らなくても、都にいて歌枕の地を歌に詠むことはゆるされたことでありました。しかし、能因はそれには飽きたらず、現地主義を徹底しみちのくを旅したという風にいわれています。どうもいろいろな状況証拠を勘案しますと、能因は実際にみちのくを旅したらしいというのが、現代では通説になっているようです。
白河の関



Posted by 南宜堂 at 22:36│Comments(0)

 
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