2009年07月21日

白河の旅

 出版社に勤めていた時のこと、何年か営業の仕事をやったことがありました。最初に行かされたのは中国・四国地区でした。どんなことをやるかといえば、書店や取次店(問屋さん)をまわって販促と集金の業務が主なものでした。当時まだ瀬戸大橋は開通しておらず、宇野から高松まで連絡船に乗って四国に渡りました。
 それから今度は南東北に行かされました。この時、なぜかほっとしたような気持ちになったのをいまだに覚えています。営業の仕事というのは駆け引きや腹の探り合いのようなところがあって、西国の人たちというのはなかなかに本音を見せないところがあって、苦手でした。
 それに対して東北の人がいい人ばかりであったということではないのですが、どうも信州の風土に育ったものとしてはどこかに親近感のようなものを感じたのかもしれません。今回東北の入口である白河を旅して、一層その思いを強くしました。
 私の個人的な感想なのですが、西国の人たちというのは考え方が合理的です。それはおそらく商業とか流通とか生産を伴わない産業が早くに発達したということが関係あると思うのですが、個人対個人という関係が確立していて、近代的であり進歩的な社会です。それは決して否定されるべきものではなく、民主主義的な社会でもあるのです。
 東北が後進的だというわけではないのですが、信州も含めて気候の厳しい土地は、稲作を維持していくためにはどうしても協力していかなければならなかったのではないかと思います。そのために個人が屹立してしまったのでは共同性が保てなくなってしまいます。そんなことから人と人との関係が濃密になったのではないかと勝手に想像してみたわけです。
 まあ、そんな馬鹿なことを考える必要もなく、心温まる旅をさせていただきました。「あれこれ南宜堂」白河の旅シリーズを終えるに当たって、何とかまとめをしなければと書いてみたのですが、蛇足であったのかもしれません。
小峰城の三層櫓より白河の町を望む
白河の旅



Posted by 南宜堂 at 23:50│Comments(0)

 
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