2009年07月24日

歌枕について

 テレビや雑誌に紹介された美しい風景や落ち着いた町並みの場所に行ってみたいと思う。これは、現代人が旅に出る大きな動機である。
 幸か不幸か、現代は膨大な情報がさまざまなメディアを通して流されており、私たちはそれほど苦労することもなく、そんな情報を手にすることができる。例えば高遠の桜について、諏訪の御柱祭について、見頃にしろ、祭りの会期にしろ居ながらにして知ることができるわけだ。
 しかし、昔の人たちは情報の収集などなかなかできるものではないし、ましてやそこに出かけていくなどということはまさに命がけの行動になることもあるのだ。そんな時代には、高遠の桜にしても御柱祭にしても、かすかな情報しか伝わってこない。
 そんな昔の情報収集事情、旅事情から生まれた苦肉の策が旅枕だったのではないかと、これは私の想像なのだが思う。
 みちのくの松島というところには、入江に小さな島が点在していて、月に照らされたその風景はそれは美しいものだ。というような風聞が、みちのくを旅したものからもたらされる。都の風流人たちは、自分ではそんな遠くまで行くことはできないので、そんなかすかに聞いた松島の情景をどんどん膨らませていくわけである。
 そんな風にして平安朝のサロンでは歌枕によって和歌をつくる遊びが流行するのだが、中には言葉遊びではもの足らず、実際に歌枕を見たいものだと考える者が゜出てきた。
 能因であり、西行だ。



Posted by 南宜堂 at 21:22│Comments(0)

 
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