2009年07月25日

漂泊の思ひやまず

 平安時代のサロンにおいては、実際に旅をすることなく歌枕の地を歌に詠むことが当然のように行われていたわけですが、とすれば歌枕をたずねてわざわざみちのくに出かけていった能因も西行もよほどの変わり者であったのかもしれません。
 一説には、二人ともみちのくに出かける用事があったのだとも言われています。能因は自らの領地で馬を育てており、良馬の産地であるみちくには所用があって出かけたというのです。
 一方の西行も勧進聖としての用向きがあり、みちのくに出かけたのだということが言われています。
 二人が出家した原因というのはよくわかっていません。西行についてはいくたの伝説があり、有力な説がいくつかは挙げられていますが、これが決定的な原因であるというのはよくわかっていません。
 よくわかってはいませんが、現代風に言えば、いわゆる世間というものとの間に少し距離を置きたくなったのではないかということは想像できます。
 人はいったいどんな時に旅に出たくなるのだろうか。松尾芭蕉は有名な「おくのほそ道」の冒頭で、そのことを次のように述べています。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は日々旅にして、旅を栖とす。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、」
 こういう思いというのは芭蕉のような後世に残す俳人だからかというと、自分の胸に手を当てて考えてみると、同じようなことを凡人である私も思ったことがあるのだということが思い当たるのであります。
 フーテンの寅さんの映画を見て、寅さんの境遇を笑いながらもどこかでうらやましがっている自分を発見することがあったりします。
 どうも人間にはもともとが旅を日常とするような遺伝子が存在していて、誰もが旅に出たいとか遠くに行きたいとかいうような感情を持っているらしいということが最近わかってきたようです。
 それは決して現実逃避へのあこがれというものではなく、人類の太古の経験に根ざしているようなのであります。人類はもともとは食料を得るために、どこまでも獲物を追って旅していたのであり、栽培を覚え定住生活をするようになっても、そういう性癖が時々顔を出すのだといいます。
 西行にしろ、一遍にしろ、芭蕉にしろ、山頭火、放哉皆然り、旅にその生涯を終えています。そして彼らの生き方を慕うものは決して少数派ではありません。
 もちろん、彼らが世を捨て旅に出なければならなかった動機というのは、ほかにも求められると思いますが、第一義的には「人は皆いずこよりか来ていずこへか去っていく運命にある」ということだったのではないでしょうか。



Posted by 南宜堂 at 21:18│Comments(0)

 
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