2009年07月30日

サヨナラダケガジンセイダ

 山田洋次監督の映画に「家族」という名作があります。長崎県の炭坑に働いていた一家が、閉山により北海道に移住する物語です。
 一家は長年住み慣れた炭坑の島を仲間に送られて旅立つわけですが、芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」のことを考えていたら、この映画のことが何の脈絡もなく思い浮かんだのです。
 芭蕉の句は、見送りの人々に別れを告げてみちのくに旅立つときに千住の宿で詠んだもの。大げさな句だと思ったものですが、この時代旅立ちの別れは今生の別れとなるやも知れず、込み上げてくるものがあったのでしょう。
 そういえば、「奥の細道」にはいくつもの別れが描かれています。旅に別れはつきものなのでしょう。旅をする自分たちでさえ、いつ倒れるかわからないのです。
「月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
 「奥の細道」の冒頭ですが、まさに人生そのものが旅であるというのは、旅を続ける芭蕉の実感でしょう。そして旅に死するということも、芭蕉は自らの宿命として予感していたのだろうと思います。
「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」
 辞世の句です。
 芭蕉のように研ぎすまされた感性を備えていなくても、私たちは日々旅をするように不安な心細い毎日を送っているというのが実感であり、仏教で言うところの四苦八苦を抱えて生きているわけです。
 四苦八苦とは、ウィキペディアの説明によれば、この世に生きるものの持つ四つの苦しみ、生・老・病・死とさらに次の四つを加えたもののことであります。
• 愛別離苦(あいべつりく) - 愛するものと分かれなければならない苦しみ
• 怨憎会苦(おんぞうえく) - 憎んでいる対象に出会う苦しみ
• 求不得苦(ぐふとくく) - 欲しいものが得られない苦しみ
• 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 心身の機能が活発なため起こる苦しみ
 また、井伏鱒二は、唐詩を意訳してこんな有名な言葉を残しています。
「この盃を受けてくれ どうぞなみなみつがしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」
 人生とは苦しみに満ちた旅をするようなものだというのが、芭蕉の実感であったと思うのですが、そんな世の中をどうやって渡っていこうということを探ったのが「奥の細道」の旅ではなかったかと、今はうすぼんやりと考えております。




Posted by 南宜堂 at 00:20│Comments(0)

 
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