2009年10月08日

日本一のきびだんご

 テレビできびだんごの話題をやっていた。私はこの菓子は桃太郎伝説にちなんで岡山でつくられたものとばかり思っていたのだが、むかしからあるもので、むしろ吉備地方の団子という意味で「吉備団子」とすべきのようだ。
 それがなぜ桃太郎の話と結びついたのかというと、時代は明治時代にさかのぼる。日清戦争に勝利した兵士たちが、開通したばかりの山陽本線を使って故郷に帰る。その土産用にと岡山駅や広島駅で、日本一のきびだんごと銘打って売り出したのが全国に広まるきっかけとなった。というようなことを民俗学の先生が話していた。
 桃太郎の伝説と吉備団子という菓子が別々にあって、それをたまたま岡山の土産物屋が結びつけたということであろうか。
 岡山には吉備津神社があって、桃太郎ゆかりの神社といわれている。吉備津彦命は、孝霊天皇の皇子で、吉備の国で悪行をはたらいていた温羅(うら)を征伐した。この伝説が下敷きとなって桃太郎の鬼退治の話が生まれたというわけだ。しかし、桃太郎の話は全国各地にあって、岡山の専売特許ではないと思うのだが、それはおいておく。
 いずれにせよ、日清戦争の凱旋兵士が、自分たちのてがらになぞらえて「きびだんご」をみやげにしたというのは妙に納得させられる話で、なるほどと思う。だがこういう因果関係が明快な話というのにぶつかると思うことは、世の中のことというのはそんな風にうまく割り切って説明できるものなのだろうかということである。せっかくの民俗学の先生の研究にケチをつけようというのではない。
 



Posted by 南宜堂 at 13:34│Comments(0)
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