2007年08月19日

銃後の街


 前にお話しした戦争中の長野の街を撮り続けたカメラマン川上今朝太郎は1909年生まれ、徴兵の年齢ではありませんでした。そんなことで、銃後の街にあって写真を撮り続けることができたのでしょう。
 「街は戦争気分でざわめきはじめた。千人針を縫う娘さんや主婦たちの姿が目立ち、日の丸や町会旗で送られる出征兵士が日ましにふえていった。これは大変なことだ、戦争下の庶民の暮らしのありのままの姿を写しておかなければなるまいと決心した。新聞を丹念に読み、戦争が庶民の暮らしに影響を与えそうなものを書き抜いた。そして暇さえあれば、カメラを下げて街の隅から隅まで歩きまわった。」
 あの戦争中にこれだけ冷静な情勢判断をしていた人が長野にいたことは驚きです。こわいのは、あの時代の日本人の多くが日本の行っている戦争を正しいと信じて疑わなかったことです。川上は自問します。「戦争とはいったい何なんだろう。個人が人を殺せば殺人の罪に問われ、その刑罰は死刑に値するのに、国家の名によって行われる大量殺人の戦争は、殺しても英雄視され、殺されても名誉といわれる。」
 そういう当然の理屈が通用しないほど当時の日本人は病んでいたのです。いや現代だって、戦争で人を殺しても英雄扱いされることに変わりはありません。
 最近の選挙の結果を見ていて思うのは、世論が何かの拍子であっという間に片方に揺れるということです。いけないと叩かれると、毎日のようにそのことがテレビで流され、そういう世論が形成されてしまうのですね。冷静にもっと冷静に、そう思う毎日です。



Posted by 南宜堂 at 23:57│Comments(0)

 
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