2007年08月30日

善光寺七めぐり

 善光寺に関係する七種の場所を七カ所ずつ定めた「善光寺七めぐり」というものがあります。その起こりははっきりしません。江戸時代ともそれ以前からあるともいわれています。なかには善光寺とは直接関係ないと思われるものもあり、ある時に誰かによって定められたというより、いろいろな人たちによって長い間に伝えられてきたものでしょう。
 今となってはなくなってしまったもの、昔の人がなぜここを名所としたのかわからないものもあります。これは私見ですが、この七めぐりは遠方から善光寺を訪れる人々に向けてというよりは、地元の人たち向けに定められたのではないかと思います。善光寺まいりの人々は長野に滞在するのは2日か3日、この間善光寺境内でのお朝事やお籠もりをはじめとする行事に参加したり、付近を見て歩くので精一杯でとても七めぐりなどする余裕はありません。それに、橋だとか小路だとか清水とか、善光寺の伝説に関係あるものもありますが、ほとんどはなぜこれが名所かと首をかしげてしまうものもあって、たぶん地元の人々が日常生活のアクセントとして選んだものではないかと思うのです。
 いま「歴史の町長野を紡ぐ会」というところが定期的に七福神めぐりというのをやってくれていますが、これは七めぐりには入っていません。いわば番外ですが、こんな風に七めぐりを町歩きのためのポイントとしてみたら、楽しみも増えるのではないかと思います。橋・池・寺・神社・小路・塚・清水と七種が各七カ所ずつ計49カ所ありますから、けっこうまわりがいがあると思います。
 この49カ所は最近のガイドフックには紹介されていますけれど、念のため長野市教育会発行の『善光寺小誌』を参考資料として収録しました。
■七院
○蓮華院 現在後町にある正法寺のこと。善光寺の院坊である蓮華院と関係が深く、天正八年に現在地に移った。開基は若槻の武士若月重勝といわれている。浄土真宗。
○往生院 権堂にある。善光寺が災害にあった時など善光寺如来の仮堂が置かれた寺といわれている。浄土宗。
○妙法寺時丸寺 三輪時丸の開基といわれている。時丸は大和三輪の人で、善光寺如来の力で蘇生し、善光寺に詣り、東之門に庵を結んで住んだ。曹洞宗。
○光明院妙観寺 善光寺西公園のあたりにあったといわれているが、今はない。
○阿弥陀院真光寺 栄町の北にあった浄土宗の寺、弘化四年の善光寺地震で焼けたまま再建されなかった。かつての町名阿弥陀院町の名のおこりとなった。
○正覚院 安茂里にある真言宗の寺。月輪寺の跡ともいわれている。県宝の十二面観音がある。
○来迎院十念寺 源頼朝の建立と伝えられる浄土宗の寺。『大塔物語』にこの寺の僧の話が登場する。
○無常院 安茂里小市にある浄土宗の寺。もとは中御所にあった。長野市の文化財である阿弥陀如来を安置している。

■七社
○湯福神社 箱清水にある。祭神は建御名方命。御神体は木像で本田善光像ともいわれている。
○武井神社 東町にありる。祭神は建御名方命。
○妻科神社 妻科にある式内社。祭神は諏訪下社の八坂刀売命または諏訪神の子妻科姫ともいわれている。
○加茂神社 西長野にある大本願との関わりの深い神社。
○木留神社 荒木にある。昔善光寺再建の時、筏を組んで運ばれた材木を犀川から引き揚げた場所といわれている。
○美和神社 三輪相ノ木通りにある式内社。祭神は大国主命。
○笹焼神社 中御所にある柳原神社のこと。左喜焼神社ともいう。サキとは道祖神のこと。

■七池 
○阿闍梨池 善光寺院坊のひとつ本覚院の境内にある。建文九年、肥後の僧阿闍梨皇園が蛇となって善光寺の金堂をまわってこの池に入ったといわれている。
○花池 善光寺院坊のひとつ釈迦堂の前にあったが、現在はない。
○狐池 諏訪神社の境内にあり、諏訪池ともいう。
○無方池 西町の西方寺の境内にあったが、今は井戸。
○有方池 大門町にあったが、今はない。
○来間池 車池ともいう。桜枝町にあり、酒造りの水にも使われた。
○鶴の目池 西後町にあった。もと裾花川の流れた跡だといわれている。

■七清水
○箱清水 桜坂の南にある。箱清水の名の起こりとなった。
○鳴子清水 諏訪町にある清水の総称。
○夏目清水 西長野の西光寺にある。
○傾城清水 上松昌禅寺の近くにある。越後の遊女傾城が善光寺詣りの時にこの清水を飲んだといわれている。
○一杯清水 花岡平の岩屋観音からわく清水。
○瓜破清水 新諏訪町の諏訪神社の参道にある。
○柳清水 往生寺の裏山にあったといわれている。

■七小路
○桜小路 桜枝町のこと。明治の頃までは、戸隠・鬼無里などの西山地方の産物を扱う問屋が軒を並べていた。
○羅漢小路 桜小路から仁王門へ出る道。
○法然小路 仁王門の一本東側の通りで、院坊が並んでいる。
○上堀小路 大門町のそば店藤木庵の北側の通り。
○下堀小路 大門町交差点から東にのびる道だが、現在は拡幅されて広い道になった。上堀小路・下堀小路とも中世の頃、善光寺へ入る境にあった堀の跡だといわれている。
○花の小路 大門町の明治生命ビルの北側にある小路。
○虎小路 岩石町から武井神社の西に通じる道。虎ヶ塚がある。

■七橋
○駒返橋 善光寺参道にある。昔源頼朝が善光寺に参拝したさい、ここで馬を返したといわれている。元北之門町の南端、善光寺境内への北の入口。
○地獄橋 大門町の南側にあった。別名中沢橋、盲橋ともいわれていた。
○独寝橋 妻科神社の西側、鐘鋳川にかかる橋。昔婚礼の時は縁起をかついでこの橋を渡らなかった。
○花合橋 大門町と後町の境鐘鋳川にかかる橋だった。明治十一年に蓬莱橋と改められた。
○鶴ヶ橋 後町と新田町の境八幡せぎにかけられていた橋。
○積善橋 七瀬と栗田の境に架けられていた橋。瀬木先橋ともいわれていた。
○淀ヶ橋 新町と淀ヶ橋の境を流れる湯福川にかかっていた橋。

■七塚
○兄弟塚 善光寺山門の北にある。源義経の家臣佐藤継信・忠信の墓といわれている。
○柏崎塚 新町の南にあったといわれている。謡曲「柏崎」の花若の供養塔。
○虎ヶ塚 武井神社の裏手にあり、曽我十郎祐成の愛人であった虎御前の墓といわれている。
○姫塚 信州大学工学部の西にある。熊谷次郎直実の娘玉鶴姫の墓といわれている。
○苅萱塚 北石堂町の西光寺の境内にあります。苅萱上人、石堂丸の墓といわれている。
○時丸塚 三輪の円通寺の境内にあり、三輪時丸の墓といわれている。
○行人塚 栗田にあったといわれている。




Posted by 南宜堂 at 23:27│Comments(0)

 
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