2007年09月03日

七味唐辛子


 八幡屋のトレードマークでもある赤い唐辛子、あれは日本原産ではありません。中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島などで大昔から栽培されていたものです。それをヨーロッパに持ち帰ったのは、アメリカ大陸の発見者コロンブスです。インディオが下痢やけいれんの特効薬として使っていたのをスペインに持ち帰りました。日本に伝わったのはそのスペインを通してでした。
 唐辛子は日本の原産ではありませんが、七味唐辛子は正真正銘間違いなく日本人の工夫です。寛永2年(1625)江戸両国薬研堀の薬種商からしや徳兵衛という人が、この唐辛子を何とか食用にできないものかと工夫して製造したということです。この徳兵衛は後年浅草に店を移し、「やげん堀唐辛子本舗」として現在に至っています。徳兵衛の工夫は、漢方薬の調合法をヒントに食用ながらも、原料それぞれの薬効を謳った医食同源的な宣伝方法にありました。そのために浅草寺の霊験がおおいに役に立ったのではないかと思われます。江戸庶民の食べ物として大いに好まれた「蕎麦」も七味唐辛子の普及に大きな役割を果たしました。七味唐辛子は蕎麦との相性の良さから「薬味」としてなくてはならぬものとなり、大いに珍重されたようです。
 日本の三大七味唐辛子というのがあるそうで、やげん堀のほかは京都七味家と信州長野の八幡屋磯五郎です。八幡屋礒五郎は先に述べましたように元文年間の創業で、以来280年「善光寺御高札前 八幡屋磯五郎」として連綿と受け継がれてきました。同社のホームページによれば「七味唐からしは、善光寺名物中最古のものです。 御高礼前で販売し、卓絶な風味は善光寺詣りの手形とまで云われてまいりました。当地売り出しの由来は、善光寺正月行事の献立中に、唐辛子を色彩りとして供応された事に因み、 また、往古健胃剤として調製されたと伝えられております。」とありますが、私はこの由来については納得できないものがあります。このことは後ほど考えるとして話を先にすすめます。

 三大七味唐辛子は、いずも浅草寺、清水寺、善光寺といわば全国にその名が知られた超有名寺院の門前で発展してきました。このことは単に偶然であるとはどうしても思えません。七味唐辛子はその発祥を尋ねれば、漢方薬としてその薬効をうたったものでした。当時は薬事法などはありませんから、多少は誇大な広告であってもとがめられることはありません。前にも述べましたように、徳兵衛が浅草に進出した背景には浅草寺の霊験を七味唐辛子の薬効に上乗せしようという意図もあったのではないかということが充分に考えられます。さらには、全国から大勢の参拝客を集める有名寺院ですから、道中安全の常備薬として、くにへの霊験あらたかな浅草土産として、かさばらない七味唐辛子は大いにもてはやされたことでしょう。
 初代の八幡屋磯五郎はこの七味唐辛子の評判を聞いたかみずから買い求めたか、製造販売を思いついたのではないかと想像できます。からし屋から約70年遅れての創業ですから、独自の工夫を加えて八幡屋の七味唐辛子を作ったことでしょう。八幡屋の七味唐辛子はその原料がやげん堀のものとは異なっています。
 先輩にならって、八幡屋磯五郎は善光寺の霊験と七味唐辛子の効能を述べながら売り歩いたのではないかと思われます。ですから、善光寺の御用達として製造したというよりも、善光寺の門前で売り出した七味唐辛子がその名声により、善光寺も認めるようになったのではないかと私は考えています。まあ、それはどうでもいいことなのかもしれません。要するに江戸時代の八幡屋磯五郎氏は、マーケティングに卓越した才能を持っていたのではないかということが言いたかったわけです。

 ところで、先日大門町の八幡屋磯五郎の店舗の前を通ったら、囲いがしてあって新築工事中の看板が出ていました。あの趣のある建物は壊してしまったようです。あの建物は大正13年の建築で、木造塗家造り、地下は鉄筋コンクリートというめずらしいもので、もともとは小間物店でした。どんな建物ができるのでしょうか。向かいの旧金華堂書店の建物も新しくなりさびしい思いをしておりました矢先、大正時代の建築では保存する価値は無いということなのでしょうか。懐かしいという思いを大切にするのなら、できる限り現状のままを残してほしいと思います。
七味唐辛子



Posted by 南宜堂 at 20:54│Comments(3)

この記事へのコメント

昭和系ガーデンデザイナーのつのきちといいます。
はじめまして。
信州に来てから七味は、「八幡屋磯五郎」できまりです。
七味の歴史、背景、勉強になりました。
昭和系をとおりこして、大正系の建物無くなっていくのですね。
長野駅がモデルチェンジした時もびっくりしましたが
旧い建物が壊されると、私も旧いモノ好きなので、寂しい気がします。
Posted by つのきち at 2007年09月03日 21:01
ですね〜。
県外出身なんですが、ココ約10年長野にいます。
長野は自然がいっぱいと思ったのに、意外と山んなか人工物でいっぱいだったり、こういった旧い建物を壊してしまったり...

いろいろ理由はあるのでしょうが、なんだか寂しいですね。
Posted by よっちゃん at 2007年09月03日 22:42
つのきちさま
よっちゃんさま
コメントありがとうございます。七味唐辛子の記事は多分に私の独断が入っておりますのでそのつもりでおよみください。
昭和とか大正あたりはまだ保存の対象にはなっていないようで、どんどん壊されていきますね。私たちはどちらかというと江戸や明治の建物より昭和の建物にこそ懐かしさを感じます。懐かしいという気持ちあまり恥ずかしがらずにどうどうと言えるようにしたいものです。センチメンタルで何が悪い、というわけです。
Posted by 南宜堂 at 2007年09月03日 23:22

 
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