2010年01月15日

郷先生

 先頃亡くなられた中村一雄先生は、信州に骨を埋めた屈指の教育家として小林有也、三吉米熊、渡辺敏の3人の名前をあげている。
 小林は大阪府の出身で長く松本中学の校長をつとめた。松本城天守閣の保存にも尽くした人である。
 三吉は山口県の出身で、寺田屋事件のとき坂本龍馬の逃亡を助けた三吉慎蔵の子である。小県蚕業学校の創立とともに校長となり、68歳で没するまで校長をつとめている。今年がちょうど生誕150年の年であるので、上田ではその記念事業が行われるようである。
 渡辺敏は福島県の出身で、明治29年長野市に高等女学校(現在の長野西高校)の創立に尽くし、長くその校長をつとめた。
 中村先生は、終生教育の現場にいて子供たちの指導につとめた教師を郷先生とよび、彼らこそが信州教育の底流を支えたと称揚している。
 この3人の中で渡辺敏は戊辰戦争で朝敵となった二本松藩士であった。明治8年東京師範学校を卒業すると、安曇郡の仁科学校の訓導となって信州に赴任した。一時故郷福島県の教師もつとめたが、明治20年長野学校の校長として迎えられた。明治29年には自ら創設につとめた長野高等女学校が開校すると校長に就任し、69歳で引退するまで校長をつとめた。



Posted by 南宜堂 at 23:43│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。