2007年09月16日

歴史小説


 文学の中には、古今東西の歴史上の人物の生き様を描いた歴史小説というジャンルがあって多くのファンをつかんでいるようです。特に男性のビジネスマンなんかには司馬遼太郎とか津本陽なんかの作品が人気があるようです。そういえば、今年の大河ドラマも井上靖の「風林火山」です。
 なぜなのか、まあいろいろ理由はあるわけでしょうが、日々決断を迫られるような立場にある人には、英雄たちの行動が大いに参考になるということもあるのかなと、ビジネスマンを経験しないまま年をとってしまった私は想像するわけです。
 私も歴史上の人物たちの生き様というのは興味があるのですが、経世を考えるような人物、信州でいえば真田幸村とか佐久間象山とか最近話題の栗林忠道のような人よりも、旗本の用人から乗合馬車の御者になった鷲津貫一郎とか教師を辞めて石屋になった保科五無斎なんかの、はたから見てると滑稽ながら本人はいたって真剣な人たちの生き方になぜか興味が集まってしまうのです。
 五無斎の活動を資金面で支えたパン屋精養亭の滝沢郁太郎なんかも興味があるのですが、なかなか資料がありません。明治15年頃横浜の外国人のもとでパンづくりの修行をして明治20年頃長野に帰りパン屋をはじめて成功したということまではわかるのですが、なぜパン屋を志したのかとか五無斎とどこに接点があったのかがわからないのです。彼の店にはこんな言葉が貼られていたというのですが、滝沢郁太郎という人はこの言葉そのままのひとだったのでしょうか。
薄利招萬人
正直送一生

 さて、この写真に写っている人物にもちょっと興味があるのですが。池田元吉氏といい、乾物屋能登屋の主人です。
「なに、本に載せる写真を撮るって。じやあ使用人を皆呼びなさい。店の前に並んで。ただ並ぶだけじゃあ能がないな。大八車も自転車もみんな入れてな。能登屋さんは大八車や自転車を使ってこんなに手広く商売をしていなさる。なんてことがわかるようにしなきゃいけませんよ。そうそうみんな並べて、天秤棒はどうしましょうかって。それも入れましょう。何ごとも宣伝ですからな。えっ、旦那は入らないんですかって。馬鹿をいっちゃいけません。わたしは主人ですよ。主人といえば、奥の帳場にどっしりと坐っているということに決まっております。何で使用人と一緒に店先でちょこちょこしてなきゃいけないんですか。せっかくですからといわれてもねえ。そうだ、わたしの写真は後で焼き込んでもらいましょう。よく記念写真にあるでしょう。欠席者が丸い枠に収まってるのが。でもあれじゃあ小さすぎます。大きく入れてもらいましょう。せっかくですから勲章付けてきますからちゃんと撮ってくださいよ」
 とまあそんな会話があったのかなかったのか。いずれにしても、この写真を見ていますと、池田元吉氏の人柄がなんとなく想像できるようです。能登屋は中央通りのセントラルスクエアから南に下った小倉小路の南角にありました。今は駐車場になっていてありません。この写真が撮られたのはおそらく大正14年か15年頃、「昭和のはじめ長野の町」に載っております。あるもの全部ひろげてさあどうだという感じがいいですね。
 池田市は長野ではけっこう手広く商売をしていたようで、明治35年の皇太子(後の大正天皇)行啓のおりの記事にこんなものがありました。
「御食品の原料は、問御所町池田元吉氏命ぜらるべく、御飲用水は新田町久保田新兵衛氏の井水を供し奉り、牛肉ソップは西町室川牛肉店これを承るべし」
歴史小説



Posted by 南宜堂 at 22:27│Comments(0)

 
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