2010年03月31日
勝海舟とコーヒー
コーヒーといえば、「海舟座談」を編んだ巌本善治が、こんな文章を残している。
「六畳の間に通ると鄭嚀な御挨拶があり、茶が二度出て、菓子が出て、その後から、カヘー(珈琲)が出る。これは、夏も冬も、年々誰に対しても同様である。」
これが、勝邸のしきたりであったようだ。勝海舟とコーヒーとは不似合いな感もなくはないが、案外とハイカラであったのだろう。
ところで、巌本が足しげく通った赤坂氷川町の勝邸であるが、明治5年に静岡から出て来た時に購入したものである。元旗本柴田七九郎の屋敷で2462坪あった。
海舟が亡くなった後、昭和2年に氷川小学校の敷地にと1668坪を寄付している。
維新前に住んだのは、同じ赤坂氷川町だが、盛徳寺裏にあった。この屋敷跡を先日たずねたのだが、写真のようにカフェになっていた。海舟の趣味に合わせたわけでもないのだろうが、粋な店であった。もっとも印象は外観だけである。
「六畳の間に通ると鄭嚀な御挨拶があり、茶が二度出て、菓子が出て、その後から、カヘー(珈琲)が出る。これは、夏も冬も、年々誰に対しても同様である。」
これが、勝邸のしきたりであったようだ。勝海舟とコーヒーとは不似合いな感もなくはないが、案外とハイカラであったのだろう。
ところで、巌本が足しげく通った赤坂氷川町の勝邸であるが、明治5年に静岡から出て来た時に購入したものである。元旗本柴田七九郎の屋敷で2462坪あった。
海舟が亡くなった後、昭和2年に氷川小学校の敷地にと1668坪を寄付している。
維新前に住んだのは、同じ赤坂氷川町だが、盛徳寺裏にあった。この屋敷跡を先日たずねたのだが、写真のようにカフェになっていた。海舟の趣味に合わせたわけでもないのだろうが、粋な店であった。もっとも印象は外観だけである。
Posted by 南宜堂 at 23:17│Comments(0)
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