2010年05月20日

ネット社会の非常識 再出発

 例の偽装解散をしたまま会費の返却にも応じないという趣味の団体の話である。しばらく沈黙を続けていると思ったら、いつのまにか活動を再開していたようなのである。批判には目をつぶって強硬突破したのである。
 これと直接関係あるかどうか、最近大阪高検公安部長であった三井環という人のことを知った。三井さんは検察の裏金作りを内部告発しようとして、テレビ出演の朝に検察に逮捕された。とるに足らない微罪で1年半もの実刑判決を受けたのである。明らかに検察の口封じであった。
 口惜しさに断腸の思いであったと、その獄中生活を語っている。私にとっては法の番人である検察がほんとうにこんなことをするのかという思いであった。
 例の趣味の団体は国家権力でもなんでもないので、気に食わない会員の口を封じ、脱退させることくらいしかできないのだが、検察は牢屋に入れることもできる。しかし、いずれもこの国の人間の尊厳に対する意識の低さを示すものであるには違いない。
 その趣味の団体にいた会員の方が自分のブログで書いている。偽装解散して、気に食わないメンバーを外して再出発する、そういう会に「そんなところにいて、はずかしくないのか」と問われた時に胸を張って答えられないから会をぬけたと。
 再開した会のホームページでは、主宰者とその取り巻きがはずかしさなど微塵も感じることなく、語り合っている。そうやって邪魔者を排除した空間が何とも心地よいのであろう。
 しかし、詩人金子みすずがうたったように「みんなちがってみんないい」というのが社会のありかたである。気に食わないものを排除しても、また気に食わないものがあらわれる。気に食わないものでも折り合いをつけて生きていくというのが社会である。
 三井さんを不当逮捕した検察の幹部も、気に食わないものを排除した例の会の主宰者も、頭のいい人たちだとは思うのだが、そこのところがよくわかっていない、つまり幼児性が抜けきれていないのだろう。泣けば何とかなるというのが幼児の世界である。人は成長するにしたがって泣いてもどうしようもないことがあるのだということを学ぶのである。
 例の会の主宰者とその取り巻きは、また気に食わない会員が現れたら大声で泣いてみせるのであろうか。
 そういえば、主宰者の取り巻きがこんな言葉をホームページで紹介していた。
涙とともにパンを食べたものでなければ
人生の味はわからない
(ゲーテ)
 涙とともにパンを食べたと信じているこの幼児性の抜けない取り巻きは、人生の味を噛み締めたと思ったのか。実に馬鹿馬鹿しい錯覚ではないか。
ネット社会の非常識 再出発


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Posted by 南宜堂 at 11:48│Comments(0)ネット社会
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