2007年10月27日

のようなもの

 突然にお伊勢まいりのことを思い出したのは、例の赤福の事件があったからなのですが、あのあんころ餅が伊勢みやげとして定着したのはいつごろのことなのでしょうか。私どもの子どもの頃は、まだ汽車も走っていない昔のことでありますから、伊勢みやげというと生姜糖か二見浦と書かれたこけしの細工物と相場が決まっておりました。それでも赤福は創業300年といいますから、江戸時代から売られていたわけです。
 江戸時代街道の茶屋の名物といえば、餅かまんじゅう、郡山の薄皮まんじゅう、碓氷峠の力餅というように、旅をゆく人たちの今風にいえばスナックとして売られていたものです。伊勢街道にもへんば餅なんていう名物もありました。赤福もそんな伊勢まいりの人々に愛されたものだろうと思います。
 修学旅行をはじめ旅のみやげといえば、京都なら八つ橋に五色豆、東京なら雷おこしと昔は日持ちのよいものが並んでいたものです。それが、交通手段のスピード化と保存技術の進歩で生八つ橋や赤福がみやげとして持ち帰れるようになったというわけです。賞味期限の改ざんや製造年月日の虚偽記載と、赤福にはなんとも皮肉な話になったものです。
 その赤福ですが、こんな問題を起こさなければ充分に美味しい菓子ですし、それになかなか商売熱心な会社だったようです。伊勢のおはらい町におかげ横丁という、おみやげ屋さんのテーマパークのようなものをつくって、ここには長野の門前町の人たちもだいぶ見学に訪れたようです。
 おかげ横丁に見学に行った門前町の人たちは、善光寺の門前にもおかげ横丁(のようなもの)をつくろうと思ったのでしょうか。いや実際に結実したのが例のパティオ大門だったのかもしれません。残念ながら私はおかげ横丁には行ったことがないので、その具体的なイメージはわいてこないのですが、きくところによりますと、伊勢のおかげ横丁とパティオ大門はだいぶおもむきが違うようで、パティオには楽しくなるような仕掛けがないという人がいます。それはもしかしたら神様の門前と仏様の門前の違いなのかなあとも思うのです。伊勢神宮というと天照大神、例の天野岩戸の神話を見ても何ともおおらかで楽しそうな印象があります。そこへ行くと仏教というのは祈り、極楽往生、願いと心の内へとこもる傾向があり、善光寺に詣った後でわあーっと派手に行きましょうとはいかないのかも知れません。
 パティオがオープンする前そこを運営する会社の幹部の方は、店同士を競わせるんだというようなことをおっしゃっておられました。なるほど、さすが巨大なショッピングモールを各地に作り上げている大手スーパーにいた方の発言だと思ったわけですが、郊外店の手法がはたしてパティオに通用したのか。パティオの各店舗が競うことがあるとするならば、それはそれぞれの店が持つ文化度ではないのかと思っています。値段や奇をてらった飾り付けなのではなく、その店のもつ品格といったらいいのでしょうか、あえてたとえるなら小布施あたりの老舗のもつ文化度をこそ競うべきではないかと思った次第なのです。



Posted by 南宜堂 at 19:40│Comments(0)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。