2010年08月04日

日々是好日 8月4日

田中優子著 『カムイ伝講義』を読んでいる。サブタイトルに「カムイ伝のむこうに広がる江戸時代からいまを読む」とあるように、白土三平の漫画『カムイ伝』に描かれる江戸時代中期の百姓やえた・非人たちの生活から、江戸時代の別の面を見ようというものである。
よく言われるのは、江戸時代は武士の時代であるということである。後期になると商品経済の発展によって商人の力が強くなるのだが、相変わらず政治を司るのは武士であり、他の階級の者はそれに携わることができなかった。
そのせいか、幕末の歴史を描いた小説やドラマには主人公としてサムライが登場し、華やかな活躍をするのだが、本当に歴史を動かしていたのはサムライたちであったのだろうか。世の中の変革というのは、そんな表面的な志士たちの跳梁で変わっていくものではなく、社会の階層全体が地殻変動を起こし、ぐらりと変わっていくものなのではないだろうか。
草莽という言葉がある。吉田松陰が変革の主体として期待をかけた階層だが、具体的には豊かな農民や商人の中から生まれた郷士層であり、代表としては清河八郎、相楽総三など、新選組の近藤勇などもそう言ってもいいのかもしれない。こういう階層が生まれるためには生産や流通が発達し、社会が豊かにならなければならなかったのである。
小説やドラマでは、主人公が己の才覚と行動力により事を成したように描くのだが、実際は彼は時代の潮流の上にうまく乗っていたにすぎないのだと、私なんかは考えてしまうのである。こんな事を言うと、巷の歴史研究家たちはとても嫌な顔をする。
彼らは歴史はロマンだと考えているのだから。英雄たちが偉大な目的のためにしのぎを削る、そんな舞台として歴史があり、観客である巷の歴史研究家たちは自分の贔屓の役者に一声掛けたいのである。かくしてこの国の通俗的な歴史界には英雄史観がまかり通る。
『◯◯(ここには人名が入る)の思想と行動』というような書名が並ぶ書店の歴史書のコーナーにあって、『カムイ伝講義』は新鮮であった。新しい江戸時代の見方というもがひらけるような気がしたのである。
私の祖先はどこまでたどっても百姓であるらしい。そんな私のご先祖様が、何を考えどんな生活をしていたのか、英雄たちのことよりそんなことが気になるのである。



Posted by 南宜堂 at 21:30│Comments(0)
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