2007年10月31日

見てござる

 長野市中央通りの中程、昭和通り交差点から北に2筋目を東に入る小路を小倉小路といいます。そのいわれについては、別名をお蔵小路といって、蔵が多く並んでいたからそんな名前がついたという説がありますが、言い伝えですから正確なところはわかりません。
 この小路の奥に於菊稲荷というお稲荷さんの祠と延命庵というお地蔵さんをまつった庵があります。このへん一帯は昔菊屋という大きな造り酒屋の屋敷があった跡で、延命庵も菊屋がつくったもののようです。言い伝えによれば、この菊屋の当主が眼病を患った際、お経を読んで菊屋の回復を祈ったお地蔵さんをまつったのだとか。
 町を歩いても田舎を歩いても至るところにお地蔵さんがあって、それぞれがさまざまな言い伝えをもっています。そんな興味から地蔵菩薩について調べはじめたことがありました。しかしどうもそれは無駄なことのような気がしてきたのです。お地蔵さんというのは、仏教でいうところの地蔵菩薩のことなのですが、私たちがふだん見ている路傍の地蔵さんは、地蔵という名がついてはいますが、仏教が伝来する前から我が国にある素朴な信仰が地蔵菩薩と結びついてあんな童子の形をした地蔵さんが生まれたのではないかと思われるのです。私たち庶民は仏教の経典など専門的に学んでいるわけではありませんし、地蔵菩薩がなんたるかもよく知りません。
 柳田国男は「地蔵と道祖神の間柄は、ラフカディオ・ハーンと小泉八雲氏との間柄である」というようなことを言っているそうですが、道祖神すなわちサイノカミへの信仰が姿を変えたものがお地蔵さんへの信仰であるということなのでしょう。ひじょうにわかりやすいたとえです。
 サイノカミは、村の辻辻にあって、悪霊が村にはいるのを防いでくれる神様であり、お地蔵さんは私たちを災厄から守ってくれる仏様です。お地蔵さんは特に子供達を守ってくれる仏様で、地蔵和讃にもありますように、幼くして命をなくした子供達が賽の河原に集まって石を積んでいると、鬼どもがやってきて石を崩すわけです。そんな子供達の姿をあわれんで守ってくれるのがお地蔵さんなのです。
 そんなお地蔵さんというのが私たちのイメージなのですから、あまり厳密に地蔵菩薩とはなどということはなしにして、民話や言い伝えにあるお地蔵さんの姿を思いうかべ、自然な形で手を合わせるのが、お地蔵さんへの信仰なのではないでしょうか。



Posted by 南宜堂 at 23:51│Comments(0)

 
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