2010年08月06日

日々是好日 全員一致

 江戸時代の農村にあっては、物事を決めるのは全員一致原則であったことが『カムイ伝講義』には書かれている。
「村の経営に関しては、辛抱強く時間をかけて人と話し合い、問題が起こらないように物事を決める、というコミュニケイション能力にも優れている。寄合と呼ばれる村の議会は、全員一致の結論に達するまで何日も話し合ったことが、歴史や民俗学の資料でわかっている。」
 宮本常一の 『忘れられた日本人』にも同じようなことが書かれているので、このことは最近まで受け継がれていたのだということができる。
  現代に生きる私たちは多数決が最も民主的な方法であって、少数派は多数派の意見に従うべきだということを当然のこととしている。しかし、農村における共同作業を円滑にすすめるには、集落の和ということは不可欠であった。物事を決めるのに後にしこりをのこすということは避けなければならなかったのだ。そのためには多少時間がかかろうとも皆が納得いくまで話し合いが行われたのである。
 同じ江戸時代でも、武士の社会は上意下達であった。生産活動には携わらない、また縦社会である武家には合意の形成など不必要であった。 上意とあらばどんな無理難題も聞かなければならなかったのである。
 しかし、幕末における政治の現場を見ていくと、独断専行で物事を決めているわけではないこともわかる。結構話し合いのようなことが行われていたようである。黒船の来航の際にはあまたの諸侯、旗本、はては陪臣にまで意見を求めているのである。このことはより優れた方策を探るための手段のようなものであり、決して合意の形成ということではなかった。
 「五箇条の御誓文」には「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」という項があるが、これは話し合いで皆の納得のいく結論を出そうということではなく、皆の意見を聞いてやるぞくらいの項目なのである。江戸時代の官僚機構を受け継いだ明治政府もまた、武士の論理の延長でしか物事を考えなかったのである。
 この伝統は現代にまで受けつながれている。多数決と言ったところで、物事を前進させるための儀式のようなものであるような気がする。様々な意見があって、その中から多くの人が支持する意見を採用する多数決という仕組みは、合理的であり、民主的な方法のように考えられている。しかしそこで捨象された少数意見は救われることはない。だから、多数決というのは優秀な意見を求めるための儀式なのであり、農村社会の末裔というよりは、武家社会の末裔なのである。



Posted by 南宜堂 at 15:26│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。