2010年08月07日

日々是好日 航米日録

 今から150年前の万延元年、アメリカに渡ったサムライたちがいた。日米修好通商条約の批准書の交換のため太平洋を渡ったものたちである。咸臨丸のことは比較的よく知られている。
 勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎といった人たちが乗り組み、彼らが初めて日本人だけで太平洋を渡った快挙を派手に宣伝したためもあろう。
 しかし正使新見正興が乗り組んだのは、アメリカの軍艦ポーハタンであった。
「 1860年2月13日(安政7年1月22日)、ポーハタンは正使の新見正興、副使の村垣範正、監察の小栗忠順らを含む日本使節団77人を乗せ横浜を出港した。同じく米国に向かった咸臨丸は2月9日(安政7年1月18日)に横浜を出港している。途中激しい嵐に遭遇し、石炭を使いすぎたため、補給のためにホノルルに寄港。サンフランシスコには米国に直行した咸臨丸より遅れて、3月28日に到着した。その後、パナマ地峡経由で東海岸に向かう日本使節団をパナマまで送っている。」(「ウィキペディア」)
 この時新見の従者として玉蟲左太夫もアメリカに渡っている。玉蟲は帰国後アメリカでの見聞を「航米日録」にまとめた。玉蟲については乳井さんが私のブログに詳細なコメントを寄せていただいているのでそちらを参照していただきたい。
 その「航米日録」の現代語訳が完成して、出版されるという報告を乳井さんからいただいたので、その全文をここに掲載して、購入を希望されるみなさんの便をはかることにした。
 
「航米日録現代語版発売日が決まりました。8月30日、全世界一斉発売です。などと大げさに言っても良い時代になりました。
インターネットサイトではbk1です。アマゾンでは扱っていません。この本を読んで、何を感じ何を感じないか、人それぞれとは思いますが、龍馬と対比するのも想像が膨らみ面白いです。タイトルは「仙台藩士 幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録」です。帯に何て書かれているかは分かりません。
値段は2100円(税込)です。500ページですのでまあまあの価格でしょうか。
南宜堂さんにお付き合いの皆様是非お手元にご用意ください。
そして、カルチャーショックが思想に与える影響の度合いを想像してみてください。 」



Posted by 南宜堂 at 22:46│Comments(2)

この記事へのコメント

南宜堂さん
乳井です。
本のご紹介ありがとうございます。
少しメンバーの方用にご説明を加えます。
玉蟲左太夫著「航米日録」についの現代語版は、小田基訳「玉蟲左太夫『航米日録』を読むー日本最初の世界一周ー(東北大学出版会2000年2月発行)があります。では、今回の「仙台藩士 幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録」とは何が違うかです。
日録ですから、玉蟲が記録したものは誰が訳しても内容は同じです。
違いは言えば
①各地(寄港地)の気候風土の詳細な記録を割愛していないので、現地の当時の状況が良くわかる。
②航米日録は巻1~8までありますが、7までは公式記録。巻8は玉蟲が公開を禁じている内容となっています。この巻が大変重要で、公式の記録に対比して玉蟲の真情との格差を読者として読み取る必要があります。そして、その格差がどんどん広がってゆく、それを読者として読み取ってゆくことで、何を感じるか、感じないかです。公式の記録の後に巻8の本音版が書かれている(小田基さんも同様)ので対比しやすくなっていますが山本訳では子孫(傍系5代目)のなせる業でしょうか、玉蟲の心情にコメントを入れています。このコメントには読者との違いがあっても良いと思います。
玉蟲が帰国後、仙台藩の指導的な役割に登用され、8年後の戊辰戦争では仙台藩の参謀として中心的な人物になったことが、敗戦後の執政交代で、罪人として切腹することとなりました。歴史を語るのに言ってはならないレバタラですが、玉蟲が江戸で在任していたら、明治政府にどのように関わって行ったかを想像するのも面白いです。
また、戊辰戦争がなぜ回避できなかったのか(しなかったのか)についても玉蟲の思想家として考えなければなりませんがそれは、南宜堂さんのブログ「でもくらちーを考える」(2010.6.1)をご参考にしてください。
私は歴史研究研究家ではなく、一市民のレベルの視点でこの本のスタンドアロン版を読んでいます。
本の出版を強く願っていましたので、大変嬉しく思います。
ちなみに、先の小田基氏の本は絶版になっていますので、これに変わるものとして期待されます。
Posted by 乳井昭道 at 2010年08月17日 13:03
乳井さま
詳細なコメントありがとうございます。
戊辰戦争を現象面からだけとらえて、正義だ悪だと言い合うことの不毛さを学ばせていただけるのではないかと思っています。
いまテレビの「龍馬伝」では薩摩と長州が手を結んで共に幕府を倒そうというような展開になっていますが、両者ともなぜ幕府を倒さねばならないかということがわかりません。
一方で東北諸藩も北方政権の樹立ということを指向していたとありますが、その具体的な内容はどうだったのか。それと玉蟲の思想とはどのように関わってくるのか、本を読むことで学べたらと思います。
北方政権の構想というのは、薩長の樹立した明治新政府の亜流にすぎなかったという意見もあるようです。もし、玉蟲が明治政府とは別の政体を指向していたのならそれも知りたいと思います。
Posted by 南宜堂南宜堂 at 2010年08月17日 14:21
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