2010年08月14日

風雲烏城 11

「話を聞けばそのお玉の方という女、とんでもないひどい女ではないか。そんなものはわが真田の勇士が成敗してくれん」
 それまで黙って佐太夫の話を聞いていた三好清海入道が、大きな目をギョロつかせて話に割り込んできた。
「まて清海、話は最後まで聞くものだ。佐太夫、よくぞ話してくれた。烏城の榎本釜揚の手のものは、北条の手先となってしばしばわが上州沼田の城を脅かしておる。真田からは密偵を放って様子を探らせているが、いまだ烏城に異変があったという事は聞いておらん。その話はそれからどうなったのじゃ」
 幸村は清海を制すると、佐太夫に話を続けるように促した。
「はい、私はこうして姫を守って信州小県の地に落ち着いたのですが、烏城はたいへんでした。お玉の方の一派による大粛正がはじまったのです。いつのまにかお玉の方は自分の腹心を城の中につくりあげておりました。骨のあるものが黙っていないという御家老梶山様の見通しが甘かったようです。お玉の方を批判するものは、一人また一人とささいな理由をつけて城を追われていきました。殿は例によってお玉の言う通りにせいを繰り返すばかりでした。そんな中、御家老は心労からか寝込むようになり、とうとう再び立つ事は叶わず、黄泉の国に旅立ってしまわれたのです。御家老のいなくなった烏城はもうお玉の方の天下でした。誰に遠慮する事なく傍若無人に振る舞い、それに対して誰も表立っては何も言わなくなってしまいました」
 佐太夫は悔しそうであった。しかし、城を追われたものの力を集めてもたかが知れている。とても烏城に攻め込む事などできようはずもない。
「無念きわまりない思いであります」
「さようであったか。戦で城を取るのは戦国の世の習い、しかし卑劣な手段で城の乗っ取りをはかるとは卑怯きわまりない。烏城はわれら真田にとっても長年の敵、ましてや佐助を我が家臣に加えたとあっては、何としてのその方らの無念を晴らそうではないか」
 幸村の力強い言葉に、佐太夫はただただ深く頭を下げるのであった。



Posted by 南宜堂 at 23:55│Comments(0)
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