2010年09月08日

風雲烏城 22

 娘のいうとおり、善光寺の山門の傍らに一宇の荒れ寺があった。もともとは格式高い善光寺の塔頭であったようだが、今は見る影もなく荒れ果ててしまっている。
 庭の草は伸び放題、障子は破れ、屋根瓦も痛んでいる。どうも新しい住人は、家の破れには頓着しないようである。
「どなたかおらぬかな」
 清海が奥に向かって大きな声を上げた。「そんな大きな声を出さずとも聞こえておるわい。誰だい、人の昼寝の邪魔をするものは」
 玄関先の部屋の襖が少しだけ開いて、男が顔をのぞかせた。それは恐ろしくむさ苦しい男であった。もともとは坊主頭であったのだろうが、髪の毛は伸び、薄汚い無精ひげが口の周りを覆っている。
「おお、こんなところにおったか。拙者は上田城主真田昌幸の家臣で三好清海入道と申す者。ご住職はおられるか」
「住職はおらん。今は拙僧が住職のようなものじゃ。おおかた、甲斐の方に移ったままとおもうがのう」
「それは困ったなあ。ここにはもう善光寺の方はどなたもおられんのか」
 鎌之助が弱ったという顔で口をはさんだ。
「さあ、どうかな。とんと見かけんが。拙僧もかつてはここで修行した者じゃが、久しぶりに帰ってみればこんな有り様なのじゃ。それにしても、真田の御家中が何か仔細があって訪ねてこられたのかな」
「おや、おまえはもしかしたら断念坊ではないか」
 横から声をかけてきたのは、先ほどから不思議そうな顔でやりとりを見ていた甚八であった。
「いかにも断念は拙僧の名じゃが。お主どこかで会ったことがあったか」
 言われた断念、よくよくと美剣士の顔を見た。
「佐久の跡部で一緒だったが、忘れたか」
「はて、跡部は何度も訪れたが、お主にあったかのう」
「そうだなあ、この格好ではわからないのも無理はない。お主、跡部で歩き巫女の手を握ろうとしたことがあったろう。そうして反対に捻りあげられたことが」
「やや、思い出したぞ。あの時の男巫女がお主か」
 断念は素っ頓狂な大声を上げた。
「そうよ、あの時の甚八さんよ。善光寺に帰ったとは聞いていたが、とんだ乞食坊主になってしまったではないか」
「やあ、あの時は面目なかった。てっきりおなごと思っておったが。まあ、立ち話もなんだ。汚いが中に入ってくれ」
 断念が謙遜して言っているのではないことは中に入ってよくわかった。畳も障子もぼろぼろ、冬になればさぞ寒かろうという部屋であった。
「あれから、勧進を終えて、久しぶりに善光寺に帰ってみれば、如来様はおらぬは、仲間の僧たちもおおかたは甲府に行ってしまうはで、この有り様じゃ。近頃は托鉢に歩いても、とても一日食う分の米にもならん。仕方ないから、腹が減らぬようにじっとうずくまっておるのだ」
 断念は情けない顔で話しはじめた。
「ほんに情けない話じゃのう。この塩むすび我らの昼飯じゃが、食ってくれ」
 清海が差し出したむすびを、断念は何度も礼を言いながらむさぼり食った。
「せっかく、善光寺まで訪ねてまいったのに、殿から栗田様への書状が無駄になってしまったなあ」
 佐助が懐から書状を取り出して嘆息した。
「ところで、どんな用で来られたのか、よかったら話していただけぬか。拙僧でも何かお役に立てるかも知れません」 
 むすびを食べて人心地ついた断念は佐助の方を見た。
「そうさなあ、どうだろうこの断念坊、甚八の旧知でもあるようだし、信用できそうじゃ」
 そう言って佐助は一同を見回した。皆がうなずくのを待って、諸国通行自由の善光寺別当の手形がほしくてやってきたことを打ち明けた。
 断念、しばらく考えている風であっが、やがて、
「どうじゃろう。拙僧を一緒に連れて行っていただけぬかのう。拙僧がおれば善光寺聖の作法は心得ておるから決して怪しまれることはない。いささかではあるが、武芸の心得もある。どうもここにおっても食うものにも事欠くしまつじゃ。お役に立つと思うがのう」
 そう言って、一同の前に手をついた。
「いいではないか。一人でも仲間がいた方が心強い」
 そう言ったのは清海であった。聖としてともに旅するようになる清海に依存がなければ、一同それで良かろうということになってなって、ここにまたもう一人勇士が増えたのである。
 
 



Posted by 南宜堂 at 17:11│Comments(0)
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