2007年12月19日

マルセ太郎


「マルセ太郎という芸人を御存知か。御存知ならば演芸の世界にかなりくわしいお方であろう。」
 と、作家の故色川武大はどこかに書いているそうですが、マルセ太郎はおそらく知る人ぞ知る芸人だったのでしょう。かくいう私も名前は記憶の片隅にあるものの、その芸のイメージを思い出そうにも像が結びません。テレビにはほとんど出ることの無かった芸人であったようです。過去形になったのは、彼はもうこの世にはいないからなのですが、今更ながら彼の芸をじっくり見たかったと悔やんでおります。
 最近マルセ太郎の書いた「芸人魂」という本を古本屋で立ち読みしまして、あまりの面白さに思わず買って帰って、一気に読み終えたという次第なのです。内容は、自分の生い立ちや友人のこと、家族のこと、どちらかというと私的な交友録のようなものなのですが、これが滅法面白い。いわゆるキャラが立つということをいいますが、一人一人の登場人物の性格をうまくつかんで書いているという感じです。
 多分、彼の芸もそんな鋭い観察眼と洞察力に支えられて演じられるもので、面白くないはずがなかろうというわけです。彼の芸の中で、唯一申年になるとテレビからお呼びがかかったのが猿の形態模写だといいます。おそらくマルセは猿をとことんまで観察し、猿になりきって演じたのだろうと思います。
 そんなマルセがなかなかテレビに出なかった(出られなかったのかも)のは、その芸が体制に批判的で過激であったということなのでしょうが、一方でその笑いがテレビ的ではなかったということも大きな原因のようです。なにしろ、昨今のお笑いブームを見ていても、数分に一度は笑いを取らないと芸人ではないというような芸ばかりが横行しています。例えば、今人気絶頂のシマダシンスケという人がいますが、この人の笑いというのは、まわりの人間をダシに使い、彼らを馬鹿にすることで笑いを取っているようなところがあります。こういう安易な笑いの取り方を見ていると腹立たしい限りなのですが、笑われる方はどうかというと、怒ってみせるのはポーズだけで、実のところはおいしい話と内心は喜んでいるようなフシがあるのがまた腹立たしい。
 それに対してマルセの芸は、長時間じっくり聞いて、思わず笑いが込み上げて来るという類のものらしく、これはテレビ向きではなかったのでしょう。
 世の中すべてこんな調子で、刹那刹那をおもしろおかしく乗り切れればいいんだという風潮が蔓延しているようです。シマダに馬鹿にされ笑われているベンゴシが今度は大阪府知事選挙に立候補するという、こんな人間を担ぎ出し当選させるような風潮が今の日本にはあるのですね。



Posted by 南宜堂 at 22:53│Comments(0)

 
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