2011年03月10日

何で大政国をうる。

富士の高嶺の白雪が
解けて流れる真清水で
男磨いた勇み肌
何で大政、何で大政
国を売る

「旅姿3人男」2番の歌詞である。戦時中の歌(昭和14年)とは思えない浮き立つような歌だ。
大政こと政五郎は尾張藩士、れっきとした侍であったという説がある。その政五郎が国を捨てて無宿となり、次郎長のもとに草鞋を脱いだ理由は不明である。
侍であったというのは怪しいが、次郎長の信頼が厚く、清水一家のまとめ役のような存在であった。
その大政の荒神山の出入りのときのエピソードにこんなものがある。「東海遊侠伝」から、その部分を紹介する。

安濃徳の一味に駒沢の小次郎というものがいた。信濃の人で、かつて大政と親しかった。その小次郎が密かに書を大政に送り、自分はたまたまここに在るが、もし戦いとなってあなたと合間見えるようなことになったなら、自分は刀を収めてそこを去るので、あなたもそうしてほしいと言ってきた。
これに対し大政は、我ら侠客の世界では親友であっても義によって刃を交えるのは当然のことである。我らの親交は一身の交誼であり、今ここで仇敵となっているのは天下の義である。一身の義をもって天下の義を曲げることはできない。故に貴兄と遭遇することがあったならば、身を励まして雌雄を決するつもりである。
これは後になって天田愚庵が記していることであり、実際にこんなことがあったのかは知らない。しかし、かつて侍であった愚庵は、侠客の世界の仁義をこのようなものとして理解していた。
これは、平藩士としてそれまで培ってきた主君のへの忠義、親への孝行という道徳とは全く違ったものであった。例え極悪非道の凶状持ちであったとしても、頼って来たものには一夜の宿と草鞋銭を与えて送り出す。また、草鞋を脱いだ家にでいりがわるならば、一宿一飯の恩義で加勢するのが当然とされた。
これは国を売り、無宿人となってお上から追われるもの同士の助け合いのネットワークなのであった。



Posted by 南宜堂 at 23:49│Comments(0)
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