2011年04月15日

原発安全神話を撒き散らした人たち

10年以上も前のことだが、仕事で福島県の相馬・双葉地区を何度か訪れたことがあった。当然原子力発電所は稼働していて、周囲のものものしい警戒ぶりが記憶にある。
驚いたのは原子力発電所が立地している町村役場がいずれも立派なことだった。文化施設やスポーツ施設も充実していた。
福島県の大動脈は国道4号線であり、福島市、郡山市といった大都市もその沿線に集中している。国道6号線が通る浜通りは、昭和30年代まで盛んであった常磐炭鉱以外にはこれといった産業もなかった。
こういう言い方ははなはだ失礼なのだが、過疎地には不似合いなくらいに素晴らしい施設が林立していた。原子力発電所をもたない周辺町村がみすぼらしいので余計にその充実ぶりが目立ったのかもしれない。土地の人は東京電力のおかげであると言っていた。雇用も東電に頼る比率が高いとも言っていた。危険と隣り合わせていることの代償として東電から手厚いケアーがされているのだろうかと、ふと思ったが、原子力は安全ということが盛んに言われていることでもあり、そんなことはないだろうと打ち消した。
今となって見ればやはり危険であったのかと思うのだが、テレビのコマーシャルも新聞広告も原子力発電所は安全ということを繰り返し伝えて伝えていたのだから、たいして知識を持たない我々が安全神話を信じたのは仕方なかったと思う。
それよりも東京電力から莫大な広告料をもらって安全神話を撒き散らしていた、テレビ局や新聞はいまさら原発は危険でしたとは言えないだろう。
さらに当時の政権与党であった自民党に東京電力の役員から多額の政治献金がなされていたのだという。また、「枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、東京電力役員に所管の経済産業省OBが複数いることに関し「チェック体制が甘くなった原因だと疑義を持たれるのは当然だ。社会的に許されるべきでない」と疑念を呈した。」(毎日新聞)という事実もあるのだという。
まさに官民あげて原子力発電所安全神話をつくり、国民に撒き散らしてきたのである。
それらのことを考えると、昨日私が問題とした作家星亮一氏と東京電力との過去の関係など可愛いものなのかもしれない。が、私はそういう過去の事実に対して総括も反省もなく「これは天災ではない」とか「政府と東京電力の罪は深い」という言葉の軽さに怒っているのだ。
星氏とて原子力の専門家ではないのだから、安全神話に惑わされた面もあったろう。私だってその一人である。
しかし、ここに至って作家なのかジャーナリストなのか責任ある立場で発言をしているのだから、もっと言葉に重みを込めてほしいと思うのである。
また脱線してしまった。星氏はどう考えているのか知らないが、地震や津波は天災である。これまで人災と考えていったら国の防災体制にまで疑問を挟まなくてはならなくなり、話が複雑になる。
地震や津波は天災だが、原発事故は人災である。これもいまさら「これは天災ではない」と言われなくても、誰もがわかっていることだ。
その起こってはならない人災を防ぐための努力が、国と東京電力との間のもたれ合いの関係によっておろそかにされてきたのだとしたらまさに罪は深いのである。



Posted by 南宜堂 at 04:44│Comments(0)
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